卒業生の活躍をご紹介する『卒業生インタビュー』、第2回に登場するのはベトナム ホーチミン日本人学校*1で養護教諭として働いている 釜田 明奈(かまた あきな)さんです。
今回は、現在の仕事の内容や、大学時代の印象に残っている出来事、今後の展望などを伺いました。
*1日本人学校・・・海外に在留する日本人のために日本国内の小・中学校、高等学校における教育と同等の教育を行うことを目的とする、全日制の教育施設。
児童生徒数が増加し続けている日本人学校
—今の仕事について教えてください。
大学を卒業後、ベトナムのホーチミン日本人学校へ養護教諭として着任しました。保健主事、保健行事などを担当しています。
ホーチミン日本人学校は、正式名称を「在ホーチミン日本国総領事館附属日本商工会立ホーチミン日本人学校」といい、平成9年に、児童生徒数15名で設立された小中併設の私立学校です。日本の学習指導要領に基づいて教育を行っています。1年中暑いホーチミンの気候を活かして、プール授業は年間を通して行われます。
今の児童生徒数は小学部476名、中学部95名で、教員は38名、その他に、日本語堪能な事務員さん、とても働き者の用務員さん、ネイティブ英会話講師がいる大規模校になりました。子どもたちはとても素直で、人なつっこい子ばかりです。日系企業の進出のため、年約10%のペースで児童生徒数が増加しています。それに伴って、親のどちらかが日本人という、国際家庭の子どもも増えてきています。ベトナムには2校の日本人学校があり、もう1つは首都ハノイにありますが、ハノイとホーチミンは青森と鹿児島くらい距離が離れています。
熱帯特有の病気へも対処
ー具体的にはどんな業務を担当していますか?楽しさややりがいを感じることについても教えてください。
仕事の内容は、日本の養護教諭(保健室の先生)と大きくは変わらないと思います。日々の健康管理、定期健康診断、各種保健行事などです。
宿泊行事では、小5から中2までの自然学校・修学旅行等の引率をします。普段は気候やスクールバス登校のバス酔いのため、腹痛・嘔吐での来室が目立ちます。また、インフルエンザは1年中流行しているので予防には力を入れています。そのほかに、デング熱などの熱帯独特の病気にも気をつけるよう指導しています。
子どもが全員元気に下校するのを見送るときや、体調不良で早退・欠席した子どもが元気よく登校してきたのを見たときはホッとして、やりがいを感じます。仕事はそれはしんどい時もありますが、毎日とても楽しいです。子どもたちの笑顔が力になります。
数回の留学と、教員との出会い
ー学生時代のことについても教えてください。大学生活で印象に残っていることはありますか?
2年次の夏休みに、内閣府主催の「海外青年交流事業」に合格して参加しました。この事業は、世界各国の青年との交流を通じて、相互の理解と友好を促進するとともに、国際的視野を広めて、国際協調の精神を養い、次代を担うにふさわしい青年を育成することを目的としています。全国から集まった代表青年と2週間韓国へ行き、韓国側の代表青年との交流や、韓国政府機関への表敬訪問を行いました。個人旅行では体験することができない、青年外交官的な体験をすることができて、とてもよかったです。派遣が終わった後も派遣同期との交流は続き、青森県と山形県の日本青年交際交流機構に参加して、海外からの派遣受入や海外青年交流事業の広報活動など、事後活動も行ってきました。
3年後期からは韓国・テグにある慶北大学校に、1年間交換留学しました。語学や韓国の歴史などを学んだり、ゲストハウスでインターンをしたり。テグ観光公社の大学生記者として、半年間韓国語で観光ブログを書くインターンもしました。この留学で身に着けた韓国語を活かし、卒業論文では韓国語の文献を参考に、韓国の大学生にアンケート調査をして、『韓国の大学生が捉える高校生期における「保健教師との関わり」』としてまとめました。ホーチミンに来てからも、住んでいるところが韓国人街だったり、日本人学校の隣に韓国人学校があったりするので、韓国語がとても役立っています。
大学での学びとしては、4年次4月の養護実習での経験が印象に残っています。子どものころから医師になりたく浪人もしたのですが叶わず、何となく入ったのが養護教諭養成課程でした。最初は養護教諭を目指して入学してきた同期と自分の温度差に戸惑いもあり、養護教諭になろうか迷っていました。しかし、養護実習で実習先の担当教諭と子どもたちの触れ合いを見て、私もこんな保健室の先生になりたい!と思えるようになりました。また、海外のスクールナースについて研究されていた面澤先生と出会ったことで、韓国の保健教師の存在を知り、養護教諭として海外に目を向けることができました。
卒業時の小林ゼミでは、今までに例のないテーマを選んだにもかかわらず、丁寧にご指導いただきました。養護教諭としての経験のある小林先生のゼミに入ったことで、養護教諭観について深く考えることができました。
使命感に燃え、ホーチミン日本人学校へ応募
ー日本人学校に就職した経緯を教えてください。
留学後復学してからも卒業論文の資料集めなどで韓国に短期滞在を繰り返すうちに、大学卒業後も海外に住みたいと強く思うようになったんです。
そんな時、“海外で養護教諭として働くことができ、韓国コミュニティが近くにある”という、私にとって一石三鳥の夢のような環境のホーチミン日本人学校の募集があり、「私が行くしかない!」と勝手に使命感に燃え応募しました。地元の教員採用試験にも合格し、家族からは「わざわざ初任で海外に行かなくても、、、」と反対されましたが、正規採用後に日本人学校で養護教諭として働くには一度退職しなくてはならず、その時にまた日本人学校で養護教諭の採用があるとも限らないため、ホーチミン日本人学校を選びました。教員採用試験合格が日本人学校に新卒で赴任する自信にもなりました。
子どもたちが海外で充実した学校生活を送るために、、、
ー弘前大学での学びや経験が社会人になって活かされていると感じるのはどんな時ですか?
今後の展望も教えてください。
去年新卒で着任したにも関わらず、多くの先生から「1年目とは思えない、ここに来る前はどこの学校に勤めていたの?」とほめて?いただきました。それは、弘前大学で養護教諭の専門的知識はもちろん、教員・社会人としての立ち居振舞い方をしっかり教えていただけたからだと思います。
任期が終わったら、一度日本で養護教諭になって腕を磨き、もう一度日本人学校へ勤務したいと思っています。
日本人学校で働くためには大きく分けて、2つの方法があります。1つは、日本の学校に籍を置いたまま文科省から派遣される「派遣教員」、2つ目は、海外子女教育振興財団が行っている日本人学校等専任教員の募集に応募する「専任教員」です。ただ、残念ながら養護教諭だけは他の教諭と違い、前者の文科省派遣が行われていません。そのため養護教諭として働くには、私のように新卒で応募するか、正規採用されている先生であれば、一度退職して赴任することになります。また、実は養護教諭を採用している日本人学校は少なく、募集があっても看護師免許必須・優遇で、看護師(養護教諭免許の有無を問わない)を採用する学校も少なくありません。保健室はあるものの養護教諭不在で教職員が対応している学校も多くあります。これらの背景には学校の規模や費用面、保護者のニーズなどがあると考えられますが、それでも養護教諭が文科省派遣ではないことに疑問が残ります。
子どもたちが海外で充実した学校生活を送るためにも、子どもたちの心身をケアできる養護教諭が文科省から派遣されるようになるよう、働きかけもしていきたいと考えています。
弘前を飛び出して様々なチャレンジを!
ー最後に、弘大生やこれから大学を目指す受験生へメッセージをお願いします。
ぜひ、弘前の中にこもらず飛び出して様々なチャレンジをしてもらいたいと思います。私は、留学したり日本人学校で働くことを選んだりと、教育学部の中でなかなか浮いた存在(意識高いね・・・と言われたこともありました)でしたが、後悔は全くしていません。一見自分の夢や将来に関係ないようなことでも、やり切った後には点と点がつながって、線になることもあります。いろいろなことにチャレンジして、失敗も成功も自分の糧にしてください!
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