国際教育とグローバル人材育成に取り組んでいる弘前大学は、63校(2024年10月1日現在)と国際交流協定を結んでいます。このうち、2023年に協定校となったメキシコ国立自治大学で、30年の長きにわたって日本語教育に携わってきたのが、国際連携本部准教授の長尾和子先生。日本とメキシコ、異なる言語の背景にある文化や人間性の違い、共通点を知ることで相互理解の扉を開いてきました。
そんな長尾先生が日本語教育を志したきっかけや、メキシコでの言語研究、国際連携本部での取り組みについてお話を伺いました。

即断即決!2年のはずが30年…メキシコでの日本語指導と言語研究

― 先生が日本語教育を専攻されたきっかけを教えてください。

元々、言語に興味があって、イタリア語、ドイツ語、アラビア語…など、どんな言語について学ぼうかと悩んでいたのですが、そのときに高野生さんの『僕の学校はアフリカにあった―15歳、マイナスからの旅立ち』という本に出会いました。小学校時代に不登校を経験し、中学校は中退したという著者ご本人が東アフリカのスワヒリ語を習得しようと努めたことがつづられているのですが、その中で「外国語を勉強するなら、まず自分の母国語をしっかり学んだほうがいいよ」と教わる一文があって、自分にとっても学ぶべきは日本語かもしれない、と思ったのです。

そのころ、東京外国語大学では留学生と日本人が一緒に学ぶ日本語学科ができ、私はその第2期生として入学しました。そこで指導を受けた佐久間勝彦先生からは「将来、日本語を教えたいなら、もう学生時代から教え始めなさい」と言われ、1年次・2年次で日本語学と日本語教育学の基礎科目を学んだ後、3年生のころから大学院を修了した留学生OGが営む日本語学校で日本語を教え始めました。実際に学習者を前にして日本語を教えることは非常に難しいものでしたが、とても面白くもあり、将来は海外で日本語教育に携わりたいと思うようになりました。

― メキシコへ赴任されたのは、どのような経緯でしたか?

大学院を2年間休学してメキシコで日本語指導されていた先輩が、任期を終えてやむなく帰国することになり、引き継いでくれる後輩を探していました。その話を友人が「きっと和子にぴったりだと思う」って教えてくれたのですが、聞くなり「うん、私もそう思う」と言って、その足で担当の先生の研究室に行きました(笑)。
「先生、私、メキシコ行きたいんです」
「え、ご両親には相談した?」
「まだです、でも、もう決めました。後から報告します」
って(笑)。
両親には2年くらいで帰ると伝えて「それなら大丈夫だね」という話だったんですけども、いざ行ってみると面白くなってしまって、結果として30年間を過ごすことになりました。以前から海外で生活してみたいと思っていましたし、メキシコと水が合ったともいえます。

― メキシコとは相性がよほど合ったのですね?

1991年から2021年まで、30年にわたってメキシコ国立大学(UNAM)に籍を置いていたのですが、その時々に応じたチャレンジができたことは大きかったように思います。日本で日本語を教える際には直接法(学んでいる言語だけを使って教える方法)を使っていたので、自分も(メキシコの公用語である)スペイン語を同じように学びたいと思いましたし、現地の大学院で学んで、専攻となる応用言語学にも出会いました。初めの頃こそ、新たな言語を学ぶことや未知の環境で生活することへのストレスで大変でしたが、いろんな壁にぶつかりながらも、それらを研究によって解明したい、研究することで自分の中のもやもやを晴らしたい、という信念があってやってこられたと思います。

あと、メキシコの人々は外国人に対して優しいんです。私の周りにはホスピタリティにあふれた親日家が多く、長年生活していたのは居心地がよかったのもありますね。

1992年4月 学生・同僚・友人達に誕生日会を企画してもらった際の写真
1992年4月 学生・同僚・友人達に誕生日会を企画してもらった。
時間通りに行って、驚かれる。というのも、まだ掃除の最中であった。メキシコでは、パーティーには少し遅れていくものだという常識がある。その後、このアルトゥーロさん(写真右)は日本語優秀者試験に合格し、日本に短期滞在(1か月ほど)。その後、英語と日本語の教師になり、同僚になった。

「謝る」に見る言語文化の違い―メキシコでの研究

― 先生がメキシコでされた研究について教えてください。

応用言語学研究科の修士論文では、日本語の学習者に「汚してしまった雑誌を返す」というロールプレイをしてもらい、日本語でどのように謝るか、それはスペイン語で行うロールプレイとどう違うか、日本人の学生の謝り方とどう違うか、という研究をしました。中間言語語用論という分野です。日本人はまず「申し訳ありません」から始まって、状況の説明や相手への配慮などを示して最後にまた謝って終わる、という流れが普通ですが、メキシコの場合はまず「元気?最近どう?」みたいな導入なんですね。そうしてワンクッションを置いてから、なんの話をするのかと聞いていると、最後に謝る内容が出てくる。どちらも相手を慮っている会話ではあるのですが、相手が抱く印象は違います。日本人にとってはメキシコの最初の挨拶場合が「回りくどい」と受け取られ、メキシコ人にとってはすぐ本題に入る日本の話法が「フレンドリーじゃない」と思われたりします。

また、謝る際にはまず「悪いことをした」と意識しますが、その場面や状況も日本とメキシコでは違うと言えます。あるコピー屋さんでうまくコピーが取ってもらえなかった際に私はその店員さんが謝ることを期待していましたが、そもそもお客様に対して同僚が犯した誤りを自分の誤りであると思うのは日本の捉え方で、メキシコでは「これは私がした仕事ではない」という認識で、「謝る」という行為にはつながらないという違いもあります。

ブラウン&レビンソン(1987)が定義した「ポライトネス(人間関係の距離を調整するための、相手への礼節を持った思いやり、配慮のある言動)理論」によると、ポライトネスには「ネガティブ」と「ポジティブ」があり、日本は敬語の表現に見られるように相手と適切な距離をとろうとするネガティブ・ポライトネス、メキシコでは友達のように接して仲間になろうとするポジティブ・ポライトネスを重視するといえます。謝る状況を説明する際に、「汚して」しまった(他動詞)と言うか、「汚れて」しまった(自動詞)と言うかで、日本語では責任感があるかないかという印象と結びついているのも興味深かったです。

― 30年間滞在したメキシコではどのような成果がありましたか?

私の受け持った学生の中には日本やメキシコの日系企業で働いたり、日本の大学で講師として働いたりしている人もいて、それが一つの成果ですね。日本語や日本の知識を持ったうえで日本を旅行したり、日本のことを好きでいてくれる人を輩出したりしているのも、もう一つの成果だと言えます。中には単位取得科目ではないにも関わらず、日本語の学習を続けている学生もいて、その人たちの人生に日本語学習が役立っているのは大きな喜びでもあります。

長尾先生が編集に携わった書籍。表紙写真は世界文化遺産に指定されているUNAMの中央図書館で、長尾先生が撮影したもの
長尾先生が編集に携わった書籍。表紙写真は世界文化遺産に指定されているUNAMの中央図書館で、長尾先生が撮影したもの

UNAMから赴任、弘前大へ待望の交換留学生も

― 弘前大学にはどのようにして赴任されたのでしょうか。

弘前大学で准教授の公募があると知ったのが赴任のきっかけでしたね。専任教員向けのサバティカルという6年ごとの研究休暇で日本に長期滞在した際には、自分の国で生活したり仕事したりするのもいいかも、と漠然と思っていたりもしました。ただ、UNAMで多くの先生方とともに応用言語学科を立ち上げたり、日本語教師現職者研修など、新たなチャレンジの最中だったので後ろ髪をひかれる思いもあって。本当に悩んだのですが、せっかくの縁なので応募してみよう、という感じでしたね。ただ、大学を卒業してからずっとメキシコにいたので、日本で働く際の常識などが不安でもあったのです。

2021年に帰国して弘前大学に赴任。私にとって津軽はゆかりのない土地でしたが、3年暮らして愛着が出てきました。弘前大学は太宰治が卒業した旧制弘前高校の前身校ですよね。メキシコで仲良くしていた学生たちは日本文学が大好きで、「先生はDAZAIのところに行くんだよね?」って話していたんです。それで、まずは学びの家や旧金木町に行ってみました。
冬は雪の量にびっくりしました。その年は特に大雪で、2月末までは雪道も用心して歩いていたのですが、3月になり雪が溶けて、一見黒く見える氷道で転んで手首を骨折してしまうという“洗礼”も受けました。弘前はメキシコに比べて四季の移り変わりがはっきりしていて、春は何と言っても桜。寒い時期がないと咲かない、あの見事な桜を見てメリハリの素晴らしさを感じました。ねぷたもとてもよかったですね。

長尾先生と2023年前期日本語中級前半クラスの学生
2023年前期日本語中級前半クラスの学生と。
この学期、大学会館の階段から落ちて、松葉杖でこのグループにも教えに行き、杖なしで学期末を迎えることができた頃の喜びあふれる写真。

― 国際連携本部ではどのような活動をされていますか?

短期留学プログラムで留学生向けの日本語の授業を担当しています。2022年後期からは日本人学生と留学生がともに学ぶ国際共修授業「異文化間コミュニケーション」も担当しています。
日本人学生を海外留学に送り出し、海外からの留学生を受け入れるため、他大学との学術協定を結ぶ仕事もしています。2023年には前任校のUNAMが弘前大学と協定を結び、2024年10月の今学期には初めての交換留学生1名を受け入れました。芸術専攻の方でスケッチブックをいつも持ち歩いていて、弘前には非常になじんでおられます。ぜひ日本人学生にもUNAMに行ってもらいたいですね。

― 弘前大学の魅力や特徴は何だと思われますか?

学部の学生数が約6,000人とコンパクトなため各学部での指導が行き届き、きめ細やかであること、それぞれの先生方が行っている研究に特色があり、バラエティーに富んだ内容の指導が受けられること、サークル活動が盛んでその活動レベルが高く、メンバーが熱心で能力が伸ばせること―だと思います。四季折々の自然も留学生にとってはとても魅力的ですね。伝統のある津軽の郷土文化や方言なども都会には見られない特色で、国際連携本部でも多くの津軽関連の授業を開講しています。ちなみにメキシコでは日本文学がスペイン語に翻訳されていて、村上春樹、吉本ばなな、小川洋子など現代の作家のほかに、三島由紀夫、川端康成、芥川龍之介、安部公房、谷崎潤一郎、そして、弘前大学ゆかりの太宰治も人気があります。先にお話ししたように、津軽や弘前大学は太宰の聖地巡礼の場所としても捉えられているようです。国際連携本部でもサワダ・ハンナ・ジョイ先生の文学関連の講義が留学生にとって魅力の一つになっていますね。

大切な言葉は「一期一会」。主体性を持った人を育てたい

― 学生に指導する上で大切にしていることはなんですか?

今、学んでいることが自分の人生や専攻とどのように結びついていくのかを考えてほしい、ということです。自分がこの世界でどのようなことで役に立てるのか、自分の人生や幸せをコントロールしていくのか、学び方を学び、学び続けることができるような基礎的な心構えを身につけてほしいと思います。

留学生によく伝えている日本の言葉は「一期一会」。異文化コミュニケーションでは往々にしてステレオタイプを持って相手の文化やバックグラウンドを知ろうとしない傾向があります。ある人と会った時、その人が属している文化圏について知ることはもちろんですが、その人個人がどういう人間なのか知ることが大切。そのために、その人と出会えた機会を大事にしてほしいと思っています。

― 弘前大学を目指す高校生や、今在学している学生にメッセージをお願いします。

弘前大学での各講義は、その先生が長年研究されてきたことをダイジェストに共有していただける大切な時間です。高校生のみなさんには、自分の思い描く将来や適性、興味に応じて、専攻を選んでいただきたいと思います。4年間の大学生活というのは、長いようであっという間に経ってしまうというのが現実だと思います。卒業後は仕事に没頭する人が多いでしょうから、じっくり学び、経験の出来るこの時間を大切に、自ら問いを持って、講義を受け、演習に参加し、将来のキャリアに向かって進んでいってほしいと思います。自分の生きる社会の一員として、イニシアチブを持って行動できる人を目指してください。
弘前大学のスローガンのように「世界に発信し、地域とともに創造する」存在になり、どこかで外国の方を見かけたら、声をかけて話してみましょう。英語だけじゃなく、その人の言語を学んでみたり、弘前大学教授・佐藤和之先生の人文学部社会言語学研究室から生まれ、広まっていった「やさしい日本語」も使ったりしてみましょう。

Questionもっと知りたい!長尾センセイのこと!

― 先生にとっての大切な言葉、スペイン語では?

「A barriga llena, corazón contento.」。お腹がいっぱいになったら幸せ、という意味です。食べるのが好きなので(笑)。

2011年前期7レベル(中級)の学生達と長尾先生
2011年前期7レベル(中級)の学生達と長尾先生

2011年前期7レベル(中級)の学生達と。1度同窓会も開いたことのある仲の良いグループ。
クラスに日本人留学生が遊びに来ることも時々あった。これはコース修了時の懇親会だと思われる。

― 趣味はなんですか?

旅行が好きで、その土地の食べ物を味わったり、その土地で大切にされているものに出会ったりすることが楽しみです。メキシコ以外には東南アジアと中南米、北米、フランスとモロッコの14カ国を訪れました。テレビなどで見るのと現地に行くのでは印象は違いますし、文化の感じ方は自分をそのコンテクストの内側に入れることで異なってきます。実際にいろんなところに行って試してほしいですね。
ちなみに旅行でいうと学生時代、タイにハマって、毎年2回、1カ月ほど渡っていました。その他、学生時代は水泳部で泳いだり、外語祭ではバンドでボーカルをやったりもしました。メキシコ時代はジムに通ってよくヨガをしていました。映画も好きで、見るだけではなく制作学校に通ったり、鑑賞記事を書いたりしていましたね。

2015年12月、ペルーのマチュピチュにて

2015年12月、ペルーのマチュピチュにて

― 弘前に来てから始めたことはありますか?

キューバサルサのレッスンを受けています。これまでは一人で決めて実行することが多かったので、誰かと踊ることで学びはたくさんありますね。恩師の佐久間先生からは「日本語教師たるもの、いつも新しいことや苦手なことを学んでいなさい」と教わりました。そうすると、自分が学ぶときに大変だと思うことや、理解しやすい教え方が分かるようになる。自分の身近にアウェイ感を常に作る、ということとも言えます。ちなみにダンスの先生にはよく「男性にリードされることに慣れてください」「和子さんがリードしてますよ」などと言われるので、「なんだか男女平等じゃない感じだな」と思うことがあるものの、「はい、学びます」という感じですね(笑)。

2024年10月、黒石市の津軽こけし館にて

2024年10月、黒石市の津軽こけし館にて

2022年5月、弘前市りんご公園での弘前りんご花まつりにて

2022年5月、弘前市りんご公園での弘前りんご花まつりにて

Profile

国際連携本部 准教授
長尾 和子(ながお かずこ)

広島県広島市生まれ 。
東京外国語大学外国語学部日本語学科を卒業後、メキシコ国立大学(UNAM)で日本語講師を務める。UNAM大学院で応用言語学修士課程修了。言語学研究科博士課程単位取得。UNAM国立言語言語学翻訳学校准教授、日墨協会日本語教室・時間講師などを歴任。メキシコ日本語教師会の設立に理事として携わるなど、30年にわたってメキシコでの研究、言語文化交流に尽力。2021年から弘前大学国際連携本部准教授。NPO法人 教室から世界一周 理事。専門分野は日本語教育、応用言語学。