全国的にも高い注目が集まる弘前大学の「被ばく医療」。柏倉副学長は、弘前大学における被ばく医療研究の黎明期から、中心的な役割を担ってきた一人です。東日本大震災で弘前大学が果たした役割、そして、そこから生まれた一大プロジェクトとは?柏倉副学長に語っていただきました。

東日本大震災を機に、世界的に注目が集まる研究分野

― 先生の研究の専門分野について教えてください。

私が研究している「放射線生物学」は、放射線が組織や細胞に及ぼす影響を解明する学問です。一般的には、いわゆる、がんなどの病変を放射線治療で制圧するというイメージが強いかも知れません。しかし、私の専門は、強い放射線を浴びた個体や細胞を回復させるための「被ばく医療」です。

放射線の正常細胞への影響研究はどちらかというとマイナーで、世界的にも研究者の数はさほど多くありません。しかし、東日本大震災による東京電力福島原子力発電所事故以降、重要視され、世界的に研究者が増えている研究分野です。

― 弘前大学が、被ばく医療に取り組んだのはなぜですか?

弘前大学が本格的に被ばく医療に取り組み始めたのは、2007年のこと。多くの原子力関連施設を擁する青森県の地域的な背景を踏まえ、遠藤正彦前学長が、被ばく医療に関する教育・研究、人材育成の必要性を訴えたからでした。

とはいえ、当時の研究科長に集められたメンバーのなかで、放射線を専門とするのは私だけ。そこで、放射線医学総合研究所に相談に行き、アドバイスをもとに先ず教職員がアメリカテネシー州のトレーニングサイトなど国内外で研修を受け、ハード・ソフトの両面から今後の体制づくりを模索しました。
2010年、弘前大学は単独で「被ばく医療総合研究所」と「高度救命救急センター」を立ち上げ、国の助成事業がスタートしました。現在研究所にいらっしゃる先生たちが全員揃ったのが2011年1月。そして、その2ヶ月後の3月11日、東日本大震災が発生しました。

弘前大学大学院保健学研究科 カメルーンで被ばく医療に関するセミナーを実施
「被ばく医療」に注目が集まる中、2017年11月にはカメルーンで被ばく医療に関するセミナーを実施

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弘前大学大学院保健学研究科,日本学術振興会 二国間交流事業「カメルーンとのセミナー」を開催

全学をあげて福島を応援!「浪江町復興支援プロジェクト」の活動

― 東日本大震災では、どのような活動を行ったのですか?

弘前大学は文部科学省の要請を受け、避難所における住民の放射線スクリーニングの「支援チーム」を結成し、3月15日に第一次隊が福島市に向かいました。停電や交通機関が混乱するなか、メンバーは装備を整えサーベイメータで住民のスクリーニングを行いました。「被ばく医療総合研究所」の床次眞司教授(現所長)らが、4月中旬に福島市郊外のホテルに避難していた住民の甲状腺被ばく線量調査によるデータは、国内唯一のもの。事故直後の被ばくの実態を解明するうえで、非常に貴重なデータです。
これを機に弘前大学と浪江町は交流が生まれ同年9月に連携協定を締結し、同年10月、学内に学部横断型の「浪江町復興支援プロジェクト」を立ち上げました。2013年7月には、浪江町仮役場(二本松市)に弘前大学の「復興支援室」を設置し、現在も継続して町の再生・復興活動を行っています。

2015年8月、弘前大学は原子力規制委員会から「高度被ばく医療支援センター」および、「原子力災害医療・総合支援センター」の指定を受けました。指定を受けたのは、全国の被災地・被ばく地に立地する4つの大学と1つの研究所のみ。被災地でも被ばく地でもない弘前大学がナショナルセンターに指定されたのは、大きな意味を持つと思います。ひとえに、早くから被ばく医療に取り組み、全学で組織的な活動を行ってきたことが、今につながったのだと感じています。

弘前大学でなければできない学びがある

― 現地での研究活動は、学生たちにとっても貴重な体験ですね。

「うちの大学は、スターはいないし、頂(いただき)は低い。でも、裾野が広いのが最大の強み」。これは、私がよく言っている言葉です。被ばく医療に関しても、学部を越え、多様な人材がさまざまな活動に関わっています。これだけの体制はどこにもない。日本一の取り組みだと自負しています。昨年は、「放射線看護高度看護実践コース」をスタートし、人材育成のうえでさらに学びの場が広がりました。

私たちは、これまでリスクコミュニケーションに配慮し、被災された住民に寄り添う形で様々な活動を展開してきました。読んだり聞いたりするだけでなく、被災地の住民と対話したり、現地で研究活動を行うのは弘前大学でなければできないことです。エキスパートとして、地域や社会に貢献できる。そこに、弘前大学で学ぶ大きな意味があると感じています。

弘前大学でなければできない学びがあると話す、柏倉教授(HIROMAGAヒロマガ 先生インタビュー)

AIを使って津軽弁の翻訳?

― 弘前大学と東北電力によるAIを活用した共同研究が話題になっていますよね?

もともとは、AIの音声認識・言語処理技術を活用し、住民からの様々な放射線に関する電話相談にAIを活用出来ないだろうか、という発想から始まったものです。
その後、東北電力と様々なやり取りがあって、2017年8月から東北電力コールセンターの通話音声データをテキスト化し、文章の自動要約に関する共同研究に漕ぎ着けました。そのやり取りの過程で東北電力の部長さんから、「せっかくやるんだったら、津軽弁の変換ができたら面白いのではないか」と提案があり、方言や訛りを含む音声データを標準語に変換するための検証も加わりました。

研究では、東北電力のコールセンターの音声データを標準語にテキスト化した後、それを鰺ヶ沢町民に津軽弁で話してもらったりして、正しく文書化できるか検証を行いました。実際に医療現場で働く県外出身者から話を聞くと、津軽弁が理解できずコミュニケーションが取りづらい場面も多いとか。在宅医療の現場など患者とのやり取りを記録に残す必要があるため、四苦八苦しているようです。

語彙を増やしていけば、理屈上はスマホのアプリにもできるわけです。研究をさらに深めて、医療・観光や災害の分野など、活用方法の可能性を探っていきたいと思っています。

※弘前大学と東北電力のAIを活用した共同研究について、詳細はこちら
【プレスリリース】弘前大学と東北電力によるAIを活用した通話のテキスト化と要約に関する共同研究の実施について

推理小説に夢中になった少年時代。
予備校時代に文系から理系へ。

弘前大学副学長 柏倉先生の少年時代

― 先生ご自身のお話もお伺いします。学生時代の思い出は?

出身は北海道の小樽です。小学生の頃、コナンドイルの『バスカヴィル家の犬』を読んで推理小説の面白さにはまりました。4人兄弟の長男で、上3人の男は年子で同じ高校に在籍していました。3学年すべてに兄弟がいるって前代未聞ですよね(笑)。親父の自慢は、“PTA会費が1人分で済む”こと(笑)。遊んでばかりいたので、目指した大学は残念ながら不合格でした。

予備校時代は国立文系志望。勉強がてら、日本の代表的な文学小説は読破しました。浪人時代に、実家の近くに新しい薬科大学ができたんです。2ヶ月間あわてて化学の勉強をして、なんとかそこに合格しました。

学生が育っていく。その姿を見るのが好きなんです。

― 弘前大学にいらしたきっかけについて教えてください。

当時、北海道大学獣医学部・放射線学教室の桑原先生の研究室に実験で何度もお邪魔していました。その先生から、「弘前大学医療短大を大学にする話があって人を探しているんだけど、先生行かない?」と電話で誘われて。「行きます!」と、即答して2002年、弘前大学に赴任しました。それまで、弘前はほとんど来たことがありませんでした。ですが、家内が青森県つがる市木造町の出身なので、親近感はありました。

入学したての頃は頼りない印象だった学生が、それぞれの能力や持ち味を引き出しながら共に学ぶうちに、どんどん成長していく。そして、私なんかよりはるかに優秀な研究者になって社会に貢献している。うれしいですよ。学生が育っていく姿を見るのは。若い人の力ってすごいなって思います。

放射線生物学・被ばく医療について研究している、柏倉教授の研究室についてはこちら

最後に、高校生にメッセージをお願いします。

弘前大学大学院保健学研究科保健学専攻 医療生命科学領域 放射線生命科学分野 柏倉教授からメッセージ
高校生の皆さんは、将来自分が何をしたいかわからない人も多いと思います。私もそうでした。

でも、どこの大学に入るかは親や担任の先生に勧められて決めるものではありません。大学は入っておしまいではなく、むしろ始まり。その大学ではどんな面白い取り組みをしているのか、いろんな“とんがったもの”を持っている地方の大学にも目を向けてほしいと思います。私のように被ばく医療担当の副学長がいる大学なんて珍しいですよ。だからこそ、ここでしかできない学びがあります。弘前大学は、世界とのさまざまな接点を持っています。

ぜひ、共に学びましょう。

Questionもっと知りたい!柏倉センセイのこと!

― お休みの日は何をしていますか?

温泉でのんびりするのが好きです。お気に入りの温泉の露天風呂から岩木山がスカッと見える眺めは最高です!

夏場は、マンションのベランダで焼き肉をするのがささやかな楽しみ。10階なので眺めがいいんですよ。肉を焼き始めると、「焼き肉奉行」のスイッチが入り、終わるとどっと疲れます。

ネットでクラシックを流し、「ながらクラシック」を楽しむのも好きです。

もっと知りたい柏倉教授のこと
10階からの眺めを楽しみながら「焼き肉奉行」!

思い出の写真館

柏倉副学長の思い出の写真

1996年、アメリカのニューヨーク留学中、住居(26F)から撮影したマンハッタンの風景。飽きずに毎日眺めていた、好きな風景の1つ。

Profile

弘前大学大学院保健学研究科保健学専攻
放射線技術科学領域 教授
弘前大学 副学長
柏倉 幾郎(かしわくら いくお)

北海道小樽市生まれ 。
弘前大学副学長を務めるとともに、弘前大学の被ばく医療に携わる医師・放射線技師・看護師らの人材育成・教育、研究の中心的役割を担う。 1993年北海道薬科大学にて博士号を取得し、1996年米国ニューヨーク血液センター研究所へ研究員として渡米。2002年より弘前大学医学部保健学科教授を務め、2012年には弘前大学被ばく医療総合研究所所長に就任した経歴をもつ。