ヒロダイで行われている最先端の研究や、キャンパス内で話題の施設を特集する『大学紹介』。
今回は「研究者の足跡」の第5弾!本コーナーでは主に研究者に取材し、研究者が「どんな人生を送ってきたか」にフォーカスします。

学生広報スタッフ「企画班」のメンバーで、大学院理工学研究科博士前期課程2年の山本 峻(やまもと しゅん)さんが取材・記事執筆を担当。今回は人文社会科学部 永本哲也先生にインタビュー。

永本先生の研究テーマは、16世紀の宗教改革期にドイツで繁栄した「ミュンスター再洗礼派」。
何に魅せられて現在の研究にたどり着いたのか、その過程に迫ります!

SFやRPGから始まった研究者への道

SFやフィクションが好きだった幼少期

小さい頃から抽象的なことを考えることが好きだった、と永本先生は幼少期を振り返ります。永本先生が子供の頃に、テレビゲームの「ドラゴンクエスト」シリーズが普及し始めます。作中では、中世ヨーロッパをモデルにしたと言われることも多く、歴史に関心を持つきっかになったそうです。ゲーム以外にも、SFのようなフィクションの世界に関する本を読むことも好きでした。
永本先生は、このようなゲームや本のテーマになるような「世界はどうやってできているのか?」といったような、答えのない漠然とした問題について思いを巡らせることが好きだったそうです。

好きな本をひたすら読む大学生活と就職氷河期の進路選択

具体的に研究者の道を意識し始めたのは大学生の頃でした。高校生の時に、歴史や哲学的なことを考えることが好きという理由から、立正大学の哲学科に進学します。大学生活では好きなことや、関心のある分野の本をひたすら読むことに没頭できて、とても楽しかったそうです。
永本先生の充実した大学生活とは裏腹に、バブル崩壊によって当時景気は悪化していました。そのため、就職市場でも企業の採用は激減していました。このような状況でも、永本先生は昔から関心のあったゲーム制作に携わりたいと思い、就職活動をしていました。しかし、就職活動を進めるにつれて、企業に入って利益をあげるために働くよりも、自分の好きな勉強や研究で生活をしていきたいと考え始めます。とはいえこの決断には、就職活動がうまくいかないことも理由の一つとしてあったと感じているそうです。

研究したいことは「思想」から「行動」へ

人の心がどう動くのか?に着目する

研究者を目指すと決めたからには、具体的に研究したいテーマがありました。それは、これまで学んできた「思想」に突き動かされた人の行動です。
立正大学では昔から関心をもっていた、抽象的で哲学的な思想について学びました。しかし、永本先生は大学生活で抽象的なことは十分に考えたと思い、もっと現実に即した具体的なことを調べてみたいと思うようになりました。そのために研究対象として選んだものが、歴史上で実際に繰り広げられてきた人間の行動です。そこで大学を卒業した後、歴史を学ぶために立命館大学の史学科に学士編入します。この時の勉強から関心を寄せたものが、現在でも研究を続けている「宗教」の歴史でした。永本先生は、宗教を信仰する人たちを調べて、その信仰はどこから生まれ、どんな行動を引き起こすのかを専門的に研究することに決めます。

惹きつけられた「ミュンスター再洗礼派」

宗教史の中でも永本先生が注目したのは、ドイツのミュンスターという地域で、16世紀の宗教改革期に栄えた「再洗礼派」と呼ばれる人達です。「再洗礼派」は様々な派閥の中でも独自の信念や体制を持っていました。そのため、カトリック、ルター派といった体制と結びついた宗派とは異なり、ヨーロッパ中で異端と見なされていました。彼らは比較的大きな都市であったミュンスターを占領したものの、最終的にはカトリックやプロテスタントとの戦争によって滅びました。このように、世界中を敵に回しながらも、自らの信仰を命懸けで貫いた姿勢こそが、永本先生を強く惹きつけました。

「ミュンスター再洗礼派」に向き合い始めて

再洗礼派支持者の社会層に迫る大学院時代の研究

立命館大学で具体的な研究テーマが定まったので、その専門家が在籍していた岡山大学の大学院に進学します。ミュンスター再洗礼派の研究で最初に着目したことが、支持者の社会層、つまり、「どんな人が再洗礼派を支持しているのか」でした。再洗礼派の支配において、特徴的な制度の1つに個人が所有する財産を否定して、全体で共有する制度がありました。この制度の恩恵を受けるのは、財産をあまり持たない貧しい層の人であることが多いです。このような理由から、これまでの研究では社会的、経済的に不利な立場にある人が、再洗礼派を支持していたと考えられていました。しかし、近年の研究で比較的財産を持っている人も、支持者の中には含まれていたことがわかったそうです。そこで、現存する様々な史料から、改めてどのような社会層が支持をしていたのか、について考える研究から始めることになります。

研究職で生きていくために、東北大学へ

大学院の修士課程を岡山大学で修了した後、博士課程からは東北大学に進学します。再び別の大学院へ移動した理由は、研究者として生きていくために必要な知識、経験を得るためだったそうです。例えば、学会誌に提出する論文の書き方や、発表前に行われる「査読」と呼ばれる論文評価の仕組みなどもその1つです。現在ではインターネットの普及もあり、多くの人にこうした情報が共有されています。しかし、当時は研究室の内部でのみ伝統的に受け継がれている情報が多く、実際にその環境に身を置く必要があったそうです。このような背景から、永本先生は東北大学で長期間にわたる博士課程の生活をスタートさせました。

ドイツへの留学

博士課程在籍中に、研究対象としている「再洗礼派」が実際に支配していたドイツのミュンスターへ3年間の留学をします。主な目的は、日本では独学が難しい言語の習得でした。歴史に関する研究では、現存している史料を読んで、何が起こっていたのかを考察していきます。永本先生の場合は、ドイツのミュンスターに関する研究なので、主にドイツ語の史料を読みながら、研究を進めていくことになります。ところが、ミュンスターに関する史料は、ドイツ語の中でも現在では使われていない「低地ドイツ語」と呼ばれるマイナーな言語でした。そのため、現地の大学で講義を受けることで、「低地ドイツ語」を学びました。これ以外にも、日本では見ることのできない史料を現地で確認することも留学の目的の一つだったそうです。

永本先生が留学中に滞在していた街、ミュンスターの市庁舎。
1648年のウェストファリア条約が締結された場所
ミュンスターの聖ランベルティ教会。再洗礼派の指導者3人の亡骸が処刑後、檻に入れられて塔に吊されたという

帰国後に博士課程修了へ

ドイツから帰国した後も、東北大学で研究を続けます。東北大学の博士課程を修了するには、学会誌に掲載される査読付きの論文を2本出す必要がありました。永本先生は、留学で学んだことやこれまでの研究の知見を活かして、ミュンスター再洗礼派の社会層に関する研究成果を論文にまとめました。中でも、2本目の論文を出す頃には、博士課程の在学期限が迫っているにも関わらず、掲載に時間がかかり間に合うかヒヤヒヤしたそうです。
最終的になんとか論文を出して博士課程を修了しますが、博士課程を修了したからといって、すぐにどこかの大学に常勤の教員として採用されることはほとんどありません。多くの場合は、大学の非常勤講師として、短い契約年数、限られた福利厚生の中で生活をすることになります。永本先生もここから長い間、不安定な環境で研究を続けていくことになります。

非常勤講師としての生活がスタート

講師として授業を担当しながら研究にも奮闘

講師となって永本先生が苦労したのは、初めて担当する授業の準備でした。大学院に入ってからは、ドイツのミュンスターで起きた再洗礼派に焦点を当てた研究をしていましたが、大学の授業では限定的な話ではなく、西洋史全体についての講義をする必要がありました。もちろん全く知らないことではなかったものの、授業をできるというレベルではなかったため、毎週の準備にはとても苦労していたそうです。それでも回数を重ねていくごとに講義にも慣れてきて、数年後には複数の大学で講義を掛け持ちながら、自身の研究も進めることができるようになりました。

研究成果を書籍として出版

講義と研究を両立しながら本の出版にも取り組みました。博士課程で再洗礼派の社会層を研究した後は、周囲の地域への影響や布教をどのようにして行なっていたかを調査していました。地道に研究を続けてきた成果もあり、2017年に出版された『旅する教会―再洗礼派と宗教改革』では共編著者として執筆に携わりました。そして、再洗礼派がミュンスター市の統治権力をどのように握ることができたのかを分析し、単著となる『ミュンスター宗教改革ー1525~34年反教権主義的騒擾、宗教改革・再洗礼派運動の全体像ー』を出版します。そもそも、本を出版するには、執筆から編集、校正に至るまで多くの作業が必要になります。特に学術書の出版となれば、多くの資料を調べて、結果を分析した成果が当然必要です。このような本の出版は、永本先生が粘り強く研究に向き合い続けてきたからこその成果でした。

不安定な雇用から感じた限界

忙しい日々の中で本を出版したものの、この時期には永本先生は研究者としてのキャリアを続けていくことを諦めかけていました。大学で非常勤講師という不安定な立場でありながら、合間の時間で研究を続け、常勤の教員の公募に応募しては不採用が続く日々に限界を感じたからです。また、働き詰めで体力的な限界も感じていました。そのためこの時期には、研究職以外のキャリアも視野に入れ始めていたそうです。

弘前大学に着任して

コロナ禍の影響と採用決定

ところが、その最中に新型コロナウイルス感染症が流行します。大学はオンラインの授業への切り替えや、さまざまなシステムの変更を余儀なくされました。それに伴って、当時4つの大学で授業を担当していた永本先生は業務量が膨大に増えました。これまでになかった授業の準備で慌ただしくなり、就職について考える余裕をなくしていました。そんな日々を送っている中、弘前大学で助教として採用が決まりました。

弘前大学での教育と今後の研究

助教として弘前大学に着任した現在は、講義だけでなく、ゼミ形式の授業も担当するようになりました。教育だけでなく、永本先生にはまだ果たさなければならないと考えている課題があります。それは2冊目の本の出版です。1冊目に出した本では、ミュンスター再洗礼派の歴史の中でも前半の部分しか記述していません。そのため、この本だけでは、まだ書ききれていない歴史がありました。
この歴史をまとめた2冊目の著書は、これまでミュンスターの再洗礼派の歴史に向き合い続けて生きた研究者の使命として、永本先生自身の手で書かなければならないと感じているそうです。

Question永本先生に聞いてみました!
研究者に質問コーナー

― 留学したドイツ以外で、海外にいった経験があれば教えてください

周辺のオランダ、フランス、イタリア、ベルギーに行きました。
周辺の国の研究に関する資料を見にいくこともありましたが、観光をした時もありました。

オランダのウィトマルスムに置かれた再洗礼派指導者メノー・シモンズの記念碑。留学中は再洗礼派縁の地を訪れた永本先生

フランスの郵便配達夫フェルディナント・シュヴァルが作り上げた理想宮。長年行きたかったので、実物を見たときは感動したそう

― 研究以外でしておけばよかったことはありますか?

早めに体を鍛えて、体力をつけておくべきだったなと思います。過労で一度体調を崩してからは、すごく体力が衰えてしまったなと感じます。研究をしていると、どうしても無理をしないといけない時があります。発表、なんらかの締め切りの前に、踏ん張ることができる体力が必要だなと感じています。

― 大学で勉強、研究をする魅力を教えてください

文献をしっかりと読んで、理解をするという経験はそれだけでそれなりのアドバンテージです。当たり前にできることだと思われがちですが、思いの外できない人が多いです。そして、理解したことを自分で解釈して、発表の際に人に説明する過程には、仕事に限らず、日常生活でも使える大きな武器になると思います。

― 研究者を目指す人にアドバイスをお願いします

大学が減っていく中で、研究者を目指すことは大変なことだと思います。
本当にやりたいのであっても、もう一度よく考えたほうがいいとは思います。ただ、そういう人は人に何を言われようと研究職に就こうとするかもしれません。

取材した山本さんからひと言!

学生広報スタッフの山本さん

私は今年博士前期課程2年(いわゆる修士課程)ですが、来年は博士後期課程への進学はせず、就職をします。大学院に進学したからと言って、研究者を全員が目指さなければならない、とは全く思いません。ただ、自分の場合は研究職を目指して進学するほどの覚悟がなかったことも事実です。
苦しい待遇に身を置きながらでも、研究を続けようという意思を貫く人たちを見ると、自分の何倍も研究が好きなんだろうなと感じます。今後の取材でも、このような研究者の覚悟や思いを記事にしていきたいです。