世界自然遺産・白神山地。その豊かな森は、景観として美しいだけでなく、過去の災害の「記憶」も刻んでいます。鄒 青穎(ツォウ チンイン)先生は、地すべりや土砂災害のメカニズムを研究する砂防学を専攻。樹木の年輪や最新技術を駆使し、自然が発するメッセージを読み解く研究に取り組んでおり、その成果は地域の防災・環境保全から観光振興まで幅広い分野に及びます。「自然と人がどう調和して暮らせるか」を問う研究の最前線に迫ります。

樹木年輪などから地形変動の履歴を復元

農学生命科学部 地域環境工学科
鄒 青穎(ツォウ チンイン) 准教授

故郷・台湾での原体験から志した「防災の医者」

私は台湾の北東部にある宜蘭(ギーラン)県という、地震や台風が多い地域の出身です。幼い頃から、大雨や地震のたびに河川が氾濫したり、山が崩れて落石が起きたりする光景を目の当たりにしてきました。自然災害の怖さを肌身で感じつつ、同時にその裏にある自然現象への興味を抱くようになりました。なぜこのような自然災害が起きるのか、どうすれば被害を防ぐことができるのか。自然の大きな力を前に、人の暮らしと自然との共存をどう実現できるか。その考えから「地域の環境保全と防災の医者」のような仕事に就きたいと思うようになり、砂防学という研究分野につながっていきました。

日本で研究を続け、2015年に弘前大学に赴任。それまで土砂災害を理学的見地から研究してきた私にとって、農学生命科学部への着任は農学的な観点から学ぶことができるチャンスでした。地方大学の研究者として、地域にどう貢献できるかを意識し、研究フィールドを探し始めました。そこで目に留まったのが、白神山地の西側に位置する「十二湖」。山の中であるにもかかわらず、たくさんの池が点在している光景が、まず非常に不思議でした。情報を調べると、その成り立ちに地すべりが関係している可能性が指摘されていました。ここで得られた新しいことを活かせば、地域社会に貢献できるかもしれない。それが白神山地と十二湖での研究の始まりでした。

鄒先生のインタビューの様子

樹木に刻まれた手がかりから過去の地形変動歴を究明

過去の地形変動を調べるには、土砂に埋没した樹木に含まれる炭素を調べる「放射性炭素年代測定法」などが従来使われてきました。しかし、これは数百年から数万年前という非常に長い期間を対象とする手法です。私たちが白神山地での研究で知りたいのは、もっと近年、例えばこの100年や200年の間に、どれくらいの頻度で斜面が動いたのか、という情報でした。

白神山地は、例えば空中写真など、近年の情報を得るための資料が少ない地域です。そこで注目したのが、樹木年輪学の手法です。この手法は当時、農学生命科学部附属白神自然環境研究センターで研究をされていた石川幸男先生から教えていただきました。例えば、地すべりによって地面が動き、木が傾くと、木は自らまっすぐに伸びようとします。その結果、年輪の形に偏りが生じるなどの模様が現れます。また、地面の動きによって幹が引っ張られたりして傷がつくこともあります。これらは「あて材」や「幹割れ」と呼ばれるものですが、私たちはフィールドでそうした木を探し、細いドリルでコア(標本)を採取し、その年輪の変化を詳細に分析しました。

この研究の最大の魅力は、「自然が語るメッセージを読み取る」ことにあります。特に白神山地のような豊かな森では、樹木そのものが「記録媒体」となります。地すべりや斜面の変動といった過去の出来事は、樹木の年輪の中にその痕跡として刻まれているのです。「いつ、どこで斜面が動いたのか」を「年輪の記録」から再現する調査は、まるで木が語る防災史を読み解くようです。

この研究は、博士課程に在籍している学生が中心となって進めてくれました。調査では160個体以上の標本を採取しましたが、これは非常に地道で、体力のいる作業です。樹種によって幹の硬さが異なり、コアを抜き取るだけでも大変な時間がかかります。採取したサンプルを研究室に持ち帰り、年輪を読み取りやすくするために表面を研磨し、顕微鏡で観察する。この室内作業にも多くの時間を要します。

顕微鏡でのサンプル調査
顕微鏡でのサンプル調査
フィールドで採取したサンプル
フィールドで採取したサンプル

また、従来の研究では単一の樹種を利用し年輪の変化だけを観察するなど、限られた情報で判断することが多かったのですが、私たちは12種の樹種の成長の変化や樹齢の分布など「使える情報を全部使う」ことを目指しました。そうして得られた複数の指標を統計的に解析する手法の確立にも時間をかけ、2018年の研究開始から、ようやく今年、白神山地における約150年間の地すべり履歴を復元することに成功しました。

白神山地の森が記録する地すべりの歴史:樹木年輪で約150年間を復元[弘前大学ホームページ]

十二湖誕生の通説が覆る調査結果。教育や観光にも成果を還元

私の研究フィールドである十二湖周辺は、急な斜面や火山性の地質、地震や雪解け水の影響などが重なり、地すべりが発生しやすい地形です。古い地すべりの跡がそのまま湖として残っており、まさに自然がつくり出した「地形の記録博物館」のような場所です。

この十二湖の成り立ちについては、ひとつの通説がありました。それは、「1704年(江戸時代)に起きた宝永岩舘地震の際に山が崩れ、川がせき止められて湖ができた」というもの。しかし、私はそこに疑問を持ちました。当時の古文書を調べてみると、「地震で山が崩落した」という記録は確かにあるのですが、「川がせき止められて湖ができた」という肝心な記述が見当たらないのです。これは不思議だと思い、実際に年代を調査してみることにしました。

白神山地における地すべり地形の分布図
白神山地における地すべり地形の分布図

この調査は、私が青森に来てから最も印象に残っている調査の一つです。池の成り立ちを調べるには、池の底にある当時の木や流木を採取する必要があります。夏はボートを出し、冬は池が凍結するのを待って氷の上を歩き、水没したまま立っている木や、土砂に埋没した木片のサンプルを採取しました。

そして、それらの木片の年代を測定した結果、驚くべきことが分かりました。十二湖の主な池は、通説よりもはるか昔、1440年から1660年の間に起きた大規模な地すべりによって、すでに形成されていたことを突き止めたのです。1704年の地震は、すでにあった地すべりのふちを、さらに崩落させるきっかけに過ぎなかったと推定されます。

こうした研究成果は、論文として発表するだけでは地域に伝わりません。そこで、地元である青森県深浦町と協力し、十二湖の誕生の秘密をマンガやリーフレットにまとめました。

マンガ:十二湖の魅力に迫る!! [researchmap]
十二湖誕生の秘密(パンフレット)[researchmap]

作画は絵の得意な学生が担当してくれて、観光ガイドの方々向けの教材や、訪れる人々への案内資料として活用されています。このように研究成果を地域に還元し、環境教育や観光振興につなげることも、私たちの重要な役割だと考えています。

自然と共生する未来の防災「Eco-DRR」へ

樹木年輪によって「いつ地すべりが起きたか」が正確に分かると、防災の精度を格段に高めることができます。例えば、「10年前に地すべりが起きていた」という事実が年輪から判明したとします。そうすれば、10年前の気象記録を遡って調べ、その時に「どれくらいの雨が降っていたか」を照合することができます。こうした過去の事例を蓄積することで、「この地域では、このくらいの雨が降ると危険だ」という経験値が貯まり、より精度の高い避難情報の改善やリスク評価につながるのです。

研究の課題は、こうした災害のリスクを「予測できる形」で住民や行政に伝える仕組みを作ることです。従来の方法では広域的な危険評価は難しかったのですが、私たちは樹木年輪の情報に加え、衛星データやドローンレーザー測量(UAVレーザー)などの新しい技術も駆使し、地すべりや崩壊のリスクを「見える化」する研究を進めています。

こうした研究は、日本国内だけでなく、台湾やネパール・ヒマラヤ地域といった、より地形が急峻で災害の多い地域でも共同研究として進めています。例えば台湾では2009年、深層崩壊(比較的浅い部分にある表土だけでなく、地盤そのものが崩壊する大規模な山体崩壊)が発生して小林村という山間の集落が飲み込まれ、400以上人もの方が亡くなりました。その現場に立ち入り、山が崩れる前の予兆を捉えるため、いわば山の「健康診断」のような調査も行いました。

がけ崩れの調査の様子
調査の様子

私たちが目指しているのは、豊かな自然共生型社会の構築に寄与する「生態系を活用した防災・減災(Eco-DRR)」の実現です。これは、自然と敵対するのではなく、森林植生や地域の自然素材といった自然の力をうまく利用しながら災害を減らしていこうという考え方です。地すべりは災害リスクである一方、十二湖のように貴重な生態系や美しい景観を育む「資源」でもあります。その土地の特性を深く理解し、「守る」「活かす」「学ぶ」のバランスを大切にすること。それが持続可能な社会づくりにつながると信じています。

弘前大学の強みは、白神山地や岩木山、八甲田山といった世界レベルの研究フィールドが、大学から車で1時間ほどと非常に近い距離にあることです。この恵まれた環境が、自然と向き合い、地域の課題に触れながら学ぶ研究を可能にしています。これからも弘前大学を拠点に、自然と人との新しい関係を築く研究を進めていきます。

表土測定用のセンサーを持つ鄒先生

この研究に興味がある方へ、鄒先生からメッセージ

自然の中で学ぶことは、教室では得られない気づきの連続です。土砂災害や地すべりと聞くと「危険」や「難しそう」と感じるかもしれませんが、その裏には、自然の仕組みを理解し、人の暮らしを守る知恵が詰まっています。

弘前大学では、白神山地をはじめとする豊かな自然と、多様な地形・気候条件の中で、実際のフィールドに触れながら学び、研究することができます。私は、学生には「自然との対話」、つまり「コミュニケーション力」を持ってほしいと伝えています。それは、難しいことではなく「好奇心」です。

自然が好きな人、地域の役に立ちたい人、世界を舞台に活躍したい人―どんなきっかけでも構いません。自然と社会の関わりを深く学ぶことができるこの場所で、一緒に、自然と人が共に生きる未来を考えていきましょう。