国際教育とグローバル人材育成に積極的に取組んでいる弘前大学。
本学では、世界各国から訪れた約200名の留学生が学んでおり、キャンパスは非常に国際色豊か。2019年2月19日現在、世界20の国と地域、46大学・機関と大学間協定を結んでおり、さかんに交流が行なわれています。
外国人留学生などを対象にした授業と、国際連携本部で海外留学の支援や留学生の受入などをサポートしているサワダ ハンナ・ジョイ准教授にお話を伺いました。

異文化のはざまで悩んだ子ども時代
大学時代の出来事が転機に!

― 先生のご出身は?研究の道に進んだきっかけを教えてください。

私の国籍はニュージーランドで、両親もニュージーランド人です。両親は、英語の教師をしながら宣教師として布教活動を行なっていました。そのため、子ども時代は、ニュージーランドと日本を行き来しながら過ごす生活でした。
2つの国の文化のはざまで育った私は、日本にいれば外国人ですが、ニュージーランドでは帰国子女という立場です。そのため、どこにも居場所がないような違和感があり、自分はずっと不幸な子どもだと思い込み、親を恨んだこともありました。

そんな私にとって、大きな転機となったのは、大学時代です。上智大学外国語学部比較文化学科で学んでいた大学1年の時、学祭にアメリカの音楽グループがやってきました。演奏の合間に彼らがステージからジョークをとばしても、観客が英語を理解できないため会場の反応はイマイチ。それを見かねた友人たちから、「ハンナは両方話せるよね。お願い!同時通訳して!」と頼まれ、ステージの上に連れ出されたんです。人生初の経験でしたが、観客が笑ってくれて会場は大盛況。「私はパイプ役として、誰かの役に立つことができるんだ・・・」。生まれて初めて、「2つの文化を持つ自分は、実はすごくラッキーなのかも知れない」と、思えた瞬間でした。幼い頃から異文化のはざまに揺れ、アイデンティティの確立に悩んでいた私ですが、この日の出来事がきっかけで世界が違って見えるようになりました。

サワダ ハンナ・ジョイ准教授

大学時代、「澤田」という青森県八戸市出身のキュートな男の子(笑)と出会い、卒業後結婚しました。2人でニュージーランドに行き、彼は大学院生として学び、私は向こうで働いていました。日本に戻ってきたのは1989年のことです。
1999年、弘前大学は、世界各国からより多くの留学生を迎え入れるために、学内に国際交流センターを設置しました。2001年、私は、弘大の国際交流センター初の専任教官として着任し、留学生のニーズに応えるためのカリキュラム作成に取り組み始めました。

異文化を理解し、交流を深める
“win win”の関係づくり

― 先生はどんな授業を担当していますか?
また、授業のなかで大切にしていることがあれば教えてください。

現在、私が担当しているのは、教養教育科目の英語(中級レベル)、大学間協定を結んでいる大学の交換留学生を対象にした教養教育の授業、短期留学プログラムの授業などです。
最も大切にしているのは、「つながる」というキーワードです。留学生との交流というと、ともすれば、日本人側が留学生に何かをしてあげる、いわゆる“お客さん”的な接し方になりがちです。しかし、それでは、本当の意味での交流とはいえません。ですから、授業では、日本人学生、留学生、地域が互いに深く関わり合いながら、それぞれが何かを得られる“win winの関係づくり”を心がけています。

サマープログラムの学生と訪れた三内丸山遺跡
弘前大学短期集中体験型受入れプログラム「弘前大学サマープログラム」の授業の様子

たとえば、日本における地域ツーリズムの授業では、日本人学生と留学生がペアを組み、学生の目線で観光パンフには載っていない街の魅力を掘り起こし、取材・撮影・記事の作成を行ないます。完成した記事は、日本語、英語、韓国語の3カ国語で弘前観光コンベンション協会のフェイスブックにアップしています。
また、留学生たちは、こぎん刺しや津軽塗など津軽の伝統文化の体験にも取り組んでいます。留学生のインターンシップとして、教育実習のような形で、弘大附属小学校や特別支援学校で授業の一部を行ないます。インバウンドが進むなか、留学生たちは自治体の観光パンフを作成したり、観光ガイドのアシスタントとしても活躍し、地域に貢献しています。

教養教育科目の英語の授業では、日本人学生が留学生に英語でインタビューを行ない、人物紹介文をまとめる課題も設けています。最初は、留学生に話しかけるだけで緊張していた学生が、「実際やってみたら、すごく楽しかった!」と、自信に満ちた笑顔で語るのを見ると、彼らの成長ぶりを実感します。

異なる立場の人のストーリーに耳を傾け
広い視野で物事をとらえる

― 先生の研究テーマは何ですか?

専門分野は、日本文学です。授業では、女性の社会的な時代による変化などを取り上げています。また、戦争文学についても長年研究を続けており、特に戦争をテーマにした絵本について研究しています。

アジアの学生からは、「日本の戦争文学には、どうして日本人以外の人が出てこないのですか?自分がふるさとで聞いた話とは違うのですが・・・」という質問が寄せられます。それぞれの国によって、語り継がれているストーリーが異なるからです。私は、両者の話を聞いたうえでひとつのストーリーとして考えなくてはいけないと思っています。

1980年に出版された『ひろしまのピカ』(丸木俊 文・絵 丸木位里 協力)は、今も世界10数カ国で読み継がれている絵本です。この作品の大きな特徴は、広島に原爆が投下された当時、日本人だけでなく、米兵捕虜や朝鮮人など異なる立場の犠牲者がいたことにも着目し、戦争の恐ろしさを訴えていることです。丸木夫妻は、自分の世界だけに閉じてしまうのではなく、相手の話に耳を傾け、相手のストーリーも自分のストーリーの一部に組み込むことで、“in-between”の役割を果たしました。学生たちには、多角的な視点で物事を判断し、ストーリーを語ることのできる人になってほしいと願っています。

戦争をテーマにした絵本について研究している

国際教育とグローバル人材育成の取組

― 弘大の海外留学に向けた支援や、留学制度について教えてください。

国際連携本部には専任のスタッフがおり、留学に関するさまざまなサポートを行なっています。私は、国際連携推進部門長として協定校との大学間交流、国際連携推進及び、交流事業の企画・実施、留学広報などのマネジメントを担当しています。

イングリッシュラウンジでは、ネイティブの教員のほか、留学生がシフト制で常駐しており、マンツーマン指導やグループ討議を通して語学力を磨くことができます。また、備え付けのパソコンにはレッスン用のソフトウエアが入っており、自習も可能です。将来、留学を希望している学生は、ぜひ積極的に活用してほしいと思います。

弘大には、さまざまな留学制度があるのも特徴です。春・夏休みを利用した短期留学、協定校への交換留学、海外研修プログラムなど、目的や期間に合わせて選ぶことができます。「HIROSAKIはやぶさカレッジ」は、地域社会で活躍できるグローバル人材育成のために設けている本学独自の教育プログラムです。期間は1年間で、段階別にさまざまな学びの機会があります。書類審査・面接による選考に合格すれば、夏休みに短期留学のチャンスがあり、留学に必要な経費の一部を大学が支援します。国際連携本部では、留学に関する情報提供や催しを集中的に行なう「留学ウィーク」を設けています。

弘前大学 国際連携本部
弘前大学 国際連携本部 公式フェイスブック

サマープログラムを受講した学生と

弘前の街は「宝箱」!
素晴らしい環境と恵まれた制度のもと、実り多い大学生活を!

― 高校生に向けてメッセージをお願いします。

まさに、私自身がそうであったように、大学時代は新たな自分を発見し、自分の可能性を広げていくチャンスです。学問は、「クオリティ・オブ・ライフ」を上げていくものであってほしいと思います。大学のある弘前をはじめ津軽エリアは、まるで「宝箱」のように、いろんな発見や楽しいことがたくさんあります。
弘大には、恵まれた制度もあるので、チャレンジしたいという意思さえあれば、たくさんの可能性が待っています。機会をたくさん作ってお待ちしていますので、ぜひドアをノックしてください!

Questionもっと知りたい!サワダセンセイのこと!

― お休みの日はどのように過ごしていますか?

休日は、家庭菜園を楽しんでいます。虫に食われやすい葉もの野菜も、木酢液を振りかけた網をかけてガード。できるだけ無農薬で育てています。庭で採れたベリーでジャムを作ったり、くるみのケーキを焼いたりして過ごしています。

2人の子どもが独立し、今は夫婦2人暮らし。13年間、飼っていた愛犬が亡くなって寂しいな~と思っていたところ、娘から頼まれてヨークシャーテリアの子犬を預かることに。とても可愛い女の子ですが、愛情表現が豊かでハイパーテンションな性格なので、ちょっと苦戦しています(笑)。

家庭菜園
大きなブロッコリーを収穫

Profile

国際連携本部 国際連携推進部門長
サワダ ハンナ・ジョイ

ニュージーランド生まれ 。
2001年、弘前大学国際交流センター初の専任教官として着任。現在は国際連携推進部門長として留学に関するサポートを行う。日本の文化・津軽の文化を広く学ぶ授業をゼロから立ち上げ、「津軽学」というバイリンガル教科書を作成した。短期留学プログラムと教養教育科目の英語(中級レベル)の授業を担当している。

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