瀬戸内海に浮かぶ「淡路島」で生まれ、文学少女として育った山田嚴子教授。大学時代に出会ったある出来事に感涙し、民俗学への興味がムクムク。
茨城県での16年間の高校教員生活を経て、2002年、満を持して民俗学の聖地(?)・東北は青森へ。
自らの人生を「寄り道人生」だと、楽しそうに笑う山田教授がハマった民俗学の魅力と、弘前大学での学生たちの学びについて語っていただきました。

民俗学は、「現在学」。だから、決して遠い昔の話ではないんです。

― そもそも、民俗学とはどんな学問ですか?

民俗学は、近代以降に生まれた比較的新しい学問で、それぞれの国の近代化との関わりが深い。たとえば、日本では明治時代。西洋文化の流入や人の往来の増加によって、地域の日常の習慣や言い伝え、芸能などが、自分の土地特有のものだったと気づくわけです。その一方で遠く離れた場所に類似の習俗があることも知ることになります。日常にある「あたりまえ」を問うこと。これが民俗学の基本です。

従来の歴史学では文字資料しか扱っていませんでしたが、生活の中にはことわざや昔話、民謡など、声で伝わってきたものや、仕草や技術など、文字だけではうかがい知れないものもあるでしょう。そうした名も知れぬ庶民の生活を調べ、分析する方法を体系化したのが民俗学者の柳田國男でした。

― 昔の暮らしを知ることは、今の時代を生きる若い世代にどんなヒントがありますか?

柳田國男は、まず郷土に住む人々が自分たちの郷土をテキストとして読み込んでいき、他所に住む人たちと交流しながら研究していくシステムを構想していました。世界の民俗学の中でも「世間話」、すなわち「同時代の日常の話」が研究対象になると考えたのも、彼が一番早かったんです。
うちの学生たちも、民俗学実習では調査地を訪ね、食べるもの、着るもの、神様の祀り方などを聞き記録することで、他所の日常を知り、自分の育ってきた環境を対象化していきます。民俗学は、「現在学」といわれ、決して遠い昔の話を知る学問ではありません。自分の生まれ育った地域に光を当てることで、自分を知る。民俗とは、「生きるスタイル」のことを言うのです。

民俗とは、「生きるスタイル」のこと

大切なのは、“あらすじ”ではなく“手ざわり”。

― 学生たちのフィールドワークについてお聞かせください。

民俗学の卒論では、自分で調査地を決めてその土地に通い、地域に住む人々との対話を通じて生活文化を明らかにしていきます。

たとえば、これは、ある女子学生の卒論で、タイトルは「食いつなぐための仕組み」。岩手県の八幡平にある集落は、10年に1度は凶作に見舞われると言われる土地でした。しかし、村は消滅することなく存続している。そこで、彼女は、「日常のなかに、リスク分散など非常時の対策があるのでは?」と仮説を立てました。

地域のお年寄りからていねいに話を聞くなかで浮かび上がってきたのは、村の日常のシステムのなかに組み込まれた凶作に対応する仕組み。相互扶助だけでなく、各家庭においても備蓄、救荒食(きゅうこうしょく:飢饉や災害、戦争に備えて備蓄、利用される代用食物のこと)、食べ方の工夫などが受け継がれてきました。それらは、まさに生きるための智恵の宝庫です。
彼女は、昭和の凶作を報じる新聞記事の内容も分析しています。それらから、メディアが報じる“貧しい東北”というステレオタイプのイメージや言葉と、当事者が語る生活実感の違いにも着目しています。土地に住む人たちは、決して声高に自分たちの生活を語ることはしません。そうしたなかで、“大文字の声ではない声”を聞き取ること、声なきものの声を聞くことが民俗調査の基本であり、面白さだと思います。

民俗学実習 山田嚴子教授

― 調査のなかで、学生たちは多くの発見がありますね?

うちの学生は、本当によく歩きます。地元の学生も多く、語彙がわかる強みもあって、深いことを聞いてきます。たとえば、「へっちょはぐ」という言葉。これは、南部の言葉で「大変な苦労をする」という意味です。ある学生はこの言葉を聞き取ることで、地域の食べ物と語り手の人生との深いかかわりを聞くことができました。また、ある学生は、「修験(しゅげん)*1」のことを勉強しているうちに、自分の家が羽黒修験(はぐろしゅげん)*2の末裔だということが判明しました。パソコンの得意な学生だったので、ゼミでは「サイバー修験」と呼ばれていました(笑)。

私がいつも学生たちに言っているのは、生活者の実感に寄り添い、“手ざわりのあるもの”を拾って来てほしいということ。言葉でも、声でも写真でもいい。大事なのは、あらすじではなく手ざわりなんです。

*1 修験(しゅげん):日本の山岳信仰をもとに成立した、山へこもって厳しい修行を行うことにより悟りを得る宗教、またはそれを実践する者。明治4年(1872年)に修験禁止令が出されたが、第二次世界大戦後には修験道の教団が相次いで成立した。
*2 羽黒修験(はぐろしゅげん):山形県村山地方・庄内地方に広がる出羽三山のうち、羽黒山を根拠地とする修験道の一派。

年間100冊の本を読破する文学少女が、乞食(こじき)の研究に目覚めた!?

― 民俗学に興味を持ったきっかけについて教えてください。

出身は、兵庫県淡路島。高校時代は、年間100冊の本を読破する文学少女でした。山梨県にある公立の都留文科大学文学部で学んでいた大学1年のある日。「民俗学研究会」に入っている先輩が、乞食の話をしてくれたんです。乞食にもいろんなタイプがあると。自分の生まれや経歴をアスファルトに書いて説明している「チョーク乞食」、学帽をかぶった「学者乞食」。乞食も民俗学の研究対象だと聞いて、「そんなことを研究する分野があるのか!」と思い、私も「民俗学研究会」に入ったんです。

真冬の日本海が荒れ狂う佐渡島で、老婆の歌うような語りに感涙!

― 学生時代の思い出や、印象的な出来事はありますか?

大学2年の冬。新潟県佐渡島出身の先輩と一緒に佐渡に行ったんです。佐渡では、昔話のことを「とんと昔」って言うんですね。村にある小さな商店に行き、先輩がお店の人に「とんと昔、知らんかのぉ。とんと昔、知ってる婆さん、知らんかのぉ」って聞くと、一人のお婆さんを紹介してくれたんです。

訪ねて行くと、お婆さんは、「鶴女房」の話をしてくれました。

「とんと昔があったとさぁ」

語りが始まると、聞き手は「さあ、それで?」という意味で

「さぁ、そう」
「さぁ、そのぉ」

と、相槌を打つんです。

「あるとこにのぉ、爺やんと婆やんがおったとさぁ」

そして、最後は、

「いっちょう、はんじょう、さーけーたーとーさー」

「幸せに暮らしました。おしまい」という意味です。

生まれて初めて聞いた昔話の語り。ゆったり、ゆったり、まるで歌うような独特の旋律が心地良く、私、感動して涙がこぼれました。
柳田は、「語りは、むしろ歌に近い」と言っていますが、この時の出来事がきっかけで本格的に民俗学に興味を持ちました。

その後、東洋大学に柳田國男の弟子の大島建彦先生という民俗学者がいることが分かり、東洋大学の大学院に進学。当時は、ひたすらあちこちをガシガシ歩いてましたね(笑)。
卒業後は、茨城県の私立高校で16年間、高校の教員をしていました。民俗に関わる写真を勤務の合間にこっそり撮影しているような怪しい高校教員です(笑)。就職した年に、国立歴史民俗博物館から「共同研究員になりませんか」と、声をかけていただき、「日本子ども史の基礎的研究」のメンバーになりました。

高校教師をしながらも、やっぱり研究をもっとしたくて。論文もたまったことだし、どこかに送ろうかなと思い、応募して採用していただいたのが弘前大学。2002年に赴任しました。

「鬼信仰」に「オシラサマ」。ディープな青森は、民俗学研究のパラダイス!

― 民俗学的な観点から見て、東北や青森はどんな場所なのでしょう?

東北は、民俗学の研究者にとって非常に関心が高く研究の蓄積のある場所。だから、採用が決まった時はうれしくて、キャッキャと喜びました(笑)。津軽の地蔵、岩木山の鬼、南部の山伏(やまぶし)系の神楽、オシラサマ信仰など興味深いものがたくさんあり、魅力的な場所だと思います。

2017年4月、弘前大学人文社会科学部と国立歴史民俗博物館は、教育研究連携協定を結びました。これによって、北東北全体の地域文化の発掘と活用、弘前大学での学びがさらに深まっていくことと思います。

※弘前大学人文社会科学部と国立歴史民俗博物館の教育研究連携協定について、詳細はこちら
http://www.hirosaki-u.ac.jp/26789.html

「鬼信仰」に「オシラサマ」。ディープな青森は、民俗学研究のパラダイス!
山田教授が制作に関わった、「鬼信仰」に関する資料

最後に、高校生に向けたメッセージをお願いします。

高校生に向けたメッセージ
自分の高校時代を振り返っても、思い描いていた未来に「研究者」という道はありませんでした。
そう考えると、大学時代に誰とどんな出会いをするかは非常に重要です。

人生にとって、無駄なことは実はすごく大事で、損得で考えたら損にしか思えないようなことにチャンスがあることも。一つひとつ大事な出会いを通じて、育てていく。そうすることで、自分が知りたかったことに出会えるはずです。どうか、自分の可能性を低く見積もらずに、良い出会いをしてほしいですね。

山田 嚴子(やまだ いつこ)教授が担当する、民俗学研究室の紹介はこちら

【終了しました】弘前大学資料館第17回企画展「被災地と向き合う -文化財レスキューの取り組みー」

弘前大学資料館において、弘前大学人文社会科学部と国立歴史民俗博物館が教育研究連携協定を結んだ事業の一環として、弘前大学人文社会科学部と「地域における歴史文化研究拠点の構築」[人間文化研究機構広領域連携型基幹研究プロジェクト「日本列島における地域社会変貌・災害からの地域文化の再構築」]が被災地で取り組んできた文化財レスキューやボランティアの活動を紹介し、あわせて被災地の生活文化を紹介しています。

被災地から救い上げられた道具・日記・生活用品などを保存し展示することは、日常的に使用されていたものの背景にある人びとの記憶や経験を残しておく手掛かりとなり、復旧後の地域の未来を考えるための貴重な資料となっています。

会期:2017年10月28日 ( 土 )~ 12月16日( 土 )
詳しくは弘前大学資料館ホームページをご覧ください。

弘前大学資料館第17回企画展「被災地と向き合う -文化財レスキューの取り組みー」

文化財レスキューのクリーニングの様子
文化財レスキューのクリーニングの様子
展示の背景を解説する山田教授
展示の背景を解説する山田教授

Questionもっと知りたい!山田センセイのこと!

新潟県佐渡島で老婆の歌うような語りに感涙

― お休みの日は何をしていますか?

リフレッシュするのが、とにかく下手なんです。休みの日も寄り道したり、仕事との境目がない感じ。あ、温泉は好きですね。特に、白くて濁った嶽温泉が好み。

― ビビットカラーのファッションがトレードマークという噂も?

やっぱ、関西オンナなんで(笑)。

― 苦手なことは?

ちゃんとした人のふりをすること(笑)。そんなに長い時間は無理です。

― 今、ハマっていることは?

ツイッターを読みながら、特定の言い方が決まりことばになっていったり、独特の話法が育っていったりしてゆくのを探すこと。

思い出の写真館

大学院時代の山田先生

大学院時代の山田先生。千葉県の広済寺(こうさいじ)で行われる「鬼来迎」(きらいごう)」の撮影に。「鬼来迎」は、鎌倉時代に始まったとされる、地獄のありさまを演じる古典的仮面劇。1976年には国の重要無形民俗文化財に指定された。

「絵解き研究会」代表の明治大学教授・林雅彦先生らと韓国のお寺を巡った時のワンシーン

1987年、「絵解き研究会」代表の明治大学教授・林雅彦先生らと韓国のお寺を巡った時のワンシーン。

弘前大学の学生たちと、新郷村でフィールドワーク

2009年8月、弘前大学の学生たちと、新郷村でフィールドワークを行った時の様子。

Profile

人文社会科学部(文化創生課程文化資源学コース) 文化人類学・民俗学 教授
山田 嚴子(やまだ いつこ)

兵庫県淡路島生まれ 。
16年間、高校の教員として勤務しながら論文を執筆し、2002年、弘前大学に赴任。 日本の考古学、歴史、民俗について研究・展示している権威ある博物館である、「大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国立歴史民俗博物館(通称:歴博)」と個人研究者として連携し著作成果を残す。2017年4月13日、弘前大学人文社会科学部と歴博の学術交流協定締結の懸け橋となり、組織としての協力関係へと結びつける。