卒業生の活躍をご紹介する『卒業生インタビュー』、第1回に登場するのは弘前市役所観光振興部長 櫻田 宏(さくらだ ひろし)さんです。櫻田さんは人文学部(現在の人文社会科学部)を卒業後、弘前市役所に採用され、職員研修や地域づくり担当、市長秘書などを歴任し、平成27年4月から観光振興部長を務め、現在に至ります。また、同年同月より弘前市インバウンド推進協議会会長を務め、弘前市の観光を先導する存在です。
 今回は、大学時代の経験が仕事に活かされていると感じることや、現在も続く弘前大学との関わりなどについて伺いました。

仕事をする中で感じる弘前市との縁

—現在の主な仕事を教えてください。

 弘前市全体の観光振興策の統括が主な仕事です。(具体的に以下) 
 
 ①観光資源の魅力の強化(観光資源の掘り起こし及び磨き上げ、岩木山観光等の推進)
 ② 戦略的な誘客活動の展開(効果的な情報発信、滞在型・通年観光の推進)
 ③ 観光客受入環境の整備促進(ホスピタリティの向上、観光施設等の整備・維持管理)
 ④ 広域連携による観光の推進(広域圏の観光施策の充実と観光情報発信の強化)
 ⑤ 外国人観光客の誘致促進(国外への情報発信及び受入環境の整備促進)
 
 現在は広く弘前の観光に携わっていますが、仕事をする中で弘前市との縁を感じることがあります。
 例えば、弘前市では秋に「弘前城菊と紅葉まつり」を開催しています。このお祭りの歴史を辿ると、昭和29年11月4日付の地元紙陸奥新報によれば、弘前城菊と紅葉まつりの前身となる「第1回弘前市民菊花展」が弘前公園で開催され、その会場を私の祖父(櫻田清芽)が訪れた際に、「こんな豪華な菊花展は弘前で初めてだな。花もよそでは見ることができない素晴らしいものだ。」と感嘆し、来年からは指定菊でもっと盛大にやらなければならないと意気込んでいた、とのことでした。
 祖父は、昭和33年に亡くなりましたが、昭和34年には、弘前公園内の桜や楓の紅葉の素晴らしさをもっと観光面で活用すべきとの紙上座談会が開催され、昭和37年から「菊ともみじまつり」が開催されることになりました。前年の昭和36年5月にはすでにポスターデザインが決まるなど期待が高まっていましたが、このポスターの原画となった写真は、私の伯父が撮影したものだったと知ったのは私が観光物産課長となった平成24年でした。
 弘前公園の桜の紅葉が美しいということは、弘前市民にとって当たり前のことですが、首都圏では桜は紅葉する前に散ってしまうとのこと。そのことを知ったのも観光物産課に勤務していた時でした。街の真ん中にある弘前公園で桜の紅葉が見られるのは、弘前方式と呼ばれる栽培管理技術に裏付けられた、日本一を自負する桜だからこそであり、改めて桜を育てた先人たちに敬意を表しています。

人文学部卒業生
平成28年「弘前城 菊と紅葉まつり」のポスター

消極的な性格が積極的な性格へ

ー学生時代について教えてください。大学生活で印象に残っていることはありますか?

 以前から知り合いだった先輩から入学時に「コンパ委員」に指名されたことで、弘前大学内はもとより広く市内の大学との合コン実施に向けて交渉活動を行うことになり、消極的な性格だった自分が、積極的に行動するようになりました。
 アルバイトでは、夜間の警備員や鍛冶町の飲食店での接客、自動車修理工場での経験などが、社会に出てからとても役に立っています。修理工場の社長から受けた「人の邪魔をしないだけで一人前」との指導が、市長の秘書時代に活かされたこと、飲食店での経験で“気配り”が自然にできるようになったことが一例としてあげられますね。

 学業については、学科は経済学科、ゼミは流通学でしたが、ミクロ経済学、財政学、金融論などを学んだものの、学問として接していたため、実社会との融合がなかなか難しかったです。今思えば、もう少し理論構成など、考える力をしっかりと身につけておけばよかったと反省しています。



人文学部卒業生
今も多くの弘大生がアルバイトをする飲食街

ねぷたまつりが大好き

ー弘前大学生活を経て、弘前市役所に就職した経緯を教えてください。

 幼い頃からねぷたまつりが大好きで、中学時代はクラスメートで小型ねぷたを作り、市のねぷたまつりに参加していました。高校もクラスごとにねぷたを作れることが動機で弘前高校に進学し、将来はねぷた制作・運行ができるのではないかと、“午後5時で退庁できる?”弘前市役所に就職しようと漠然と考えていました。
 しかし、こんな状況だったので、大学入試には失敗し、浪人生活を送ることに、、、。ただ、浪人中も高校時代の友人らと大型組ねぷたを制作し、市のねぷたまつりに参加していました。大学進学が危ぶまれましたが、翌年無事弘前大学に合格しました。
 
 学生生活を送る中で考え方が変わり、大学卒業後は県外の民間企業で働くつもりで就職活動をし、内定をもらいましたが、同時に家族から勧められていた県内公務員への就職活動も行っていました。弘前市役所から合格通知をいただき、家族の強い勧めで弘前市役所に就職しました。

 市役所生活は当初考えていたような甘いものではなく、午後5時どころか、その日のうちに帰れないこともありましたが、それでも弘前市役所の組ねぷたの制作責任者として16年間、勤務終了後や休日を利用してねぷた制作に励みました。

人文学部卒業生
平成28年 弘前市医師会 前ねぷた 「猪 早太 鵺退治(いの はやた ぬえたいじ)」の制作風景(左)と、弘前市役所最後の組ねぷたとなった平成17年「三国志 諸葛孔明、南蛮を平定す」の運行風景(右)

今も続く弘前大学との関わり

ー現在の弘前大学との関わりを教えてください。

 市役所の職員研修を担当していた時代から、弘前大学の先生方に研修の講師をお願いするなど関わりをもってきました。その後、企画課でまちづくりの塾である“ひろさき創生塾”を担当した際には、その設立に向けた準備段階から弘前大学の先生方の研究室に足しげく通い、塾創設と2期4年間の塾生育成に努めました。その実績をもとに男女共同参画推進担当になった際には、弘前大学との共同研究の中で、共同研究員として毎週月曜日の午後の4時間は弘大に出向き、先生方と一緒に新たな取り組みに従事することができました。

 平成25年9月には、当時の弘前大学社会連携課職員と一緒に学生と社会人が自由に話し合える場である“やわラボ”を、コラボ弘大を活用して始めました。5年目を迎えた現在も、毎回、新たな参加者があるなど、学生と社会人とが緩やかにつながりながら、様々なテーマで話し合っています。
 

人文学部卒業生
平成29年7月に弘前大学で実施された「日台国際観光フォーラム」へもパネリストとして参加

大学生活で多くの社会人と出会った経験が生きる

ー弘前大学で学んだこと,経験したことが活かされていると感じるときはありますか?

 学生生活で勉強だけでなく、アルバイトをはじめ多くの社会人との出会いで経験したことが、市長の秘書業務だけでなく、組織での業務にかなり活かされています。採用5年目から7年間、研修などの職員の人材育成を担当しましたが、公務員という枠だけではなく、一市民という視点で物事をとらえて行動に移す、いわゆる市民目線での業務遂行に取り組むことができました。採用後35年になりますが、未だにそういう物事のとらえ方が根底にあるので、“弘大時代の経験が生かされている”と強く感じていますね。

人文学部卒業生
学生と社会人のゆるやかな繋がりをつくっている「やわラボ」

学生のうちに、、、

-最後に、弘大生にメッセージをお願いします。

 学生時代は時間の自由が利きます。今、できること、やれることにしっかりと取り組むことがとても大切であり、そのことが将来必ず活かされるときがきます。

人文学部卒業生

Profile

弘前市役所観光振興部長
櫻田 宏さん

弘前大学人文学部経済学科卒 。
青森県弘前市出身。青森県立弘前高等学校を卒業後、弘前大学人文学部経済学科に入学。昭和58年3月に卒業、弘前市役所に採用となり、同年4月から福祉事務所保護課で生活保護業務ケースワーカーを担当。その後,総務部人事課、企画部企画課、企画部企画課男女共同参画室、企画部秘書課(市長秘書)、企画部秘書課長補佐、商工観光部観光物産課長補佐、同課長、市民文化スポーツ部市民協働政策課長、経営戦略部理事兼政策推進課長を歴任し、平成27年4月から観光振興部長を務め、現在に至る。同年同月から弘前市インバウンド推進協議会会長も務める。