卒業生の活躍をご紹介する『卒業生インタビュー』、第7回に登場するのは青年海外協力隊として中部アフリカのガボン国立輸血センターで活動している 久米田 麻衣(くめた まい) さんです。
現在の仕事の内容や、大学時代の印象に残っている出来事、今後の展望などを伺いました。

大好きな輸血医療で途上国に貢献を

ー青年海外協力隊に参加するまでの経緯を教えてください。

卒業後は弘前大学医学部附属病院検査部および輸血部で臨床検査技師として4年間勤務し、血液型や不規則抗体検査など輸血に関わる検査や血液製剤の管理の他、小児不規則抗体に関する論文執筆などを行っていました。

技師5年目の年に退職して、2018年7月から青年海外協力隊として中部アフリカのガボン国立輸血センターで活動しています。

青年海外協力隊に応募したのは、大学病院での勤務当時に青年海外協力隊OBの理学療法士さんに勧められたのがきっかけです。
中学生の頃に青年海外協力隊の存在を知り、「途上国のために働くなんてかっこいい!」と思ってはいましたが、自分とは無関係の存在だと思っていました。でも実際に目の前で経験談を聞いていくうちに、協力を必要とする途上国の為に自身の全てを使って現地の人と共に未来を作り、日本では得られない経験を積めることに強い魅力を感じました。「いつか大好きな輸血医療で自分の力を発揮して途上国に貢献できたらいいな。そして臨床検査技師としても人としても実力と魅力ある存在になれたらいいな。」そんな風に考え始めたそのタイミングで輸血の分野で臨床検査技師の協力隊の募集があり、なにか運命のようなものを感じて。言語のことなど不安はありましたが、「輸血で救える命を一人でも多くしたい」この思いを実現するのは今しかないと思い青年海外協力隊に応募しました。
そして、協力隊になるための70日間の派遣前訓練を経て今はここガボンで活動しています。

学会でのポスター発表
弘前大学医学部附属病院輸血部在籍時、学会でのポスター発表の様子

インフラが整備された都市

ーガボンでの生活はどうですか?

ガボンでの生活は想像以上に快適です。アフリカと聞けば厳しい生活環境が思い浮かぶかもしれませんが、ここは産油国ということもあり、アフリカ諸国の中でも比較的裕福で、あらゆるものが隣国やフランスからの輸入品です。首都では立派な道路や建物が並び、電気ガス水道も困ることはほとんどありません。Wi-Fiも飛んでいます!しかし、少し田舎の方へ行くと赤土や森林、何もない場所にポツンと簡素な家が建っているなど国内での発展の違いを見ることができます。
また、ガボンは熱帯雨林気候のため、常に高温多湿であらゆるものにカビが生えてしまいます。革製品はもちろん、スーツまでも犠牲になりました…。ガボンでの生活も1年が過ぎますが、エアコンの設定温度がどこもかしこも16℃設定なのは未だに慣れませんね。

ガボンの海にて

国籍を越え、検査技師としてお互いに向上

ー現在の主な仕事内容を教えてください。

私はガボン国立輸血センターというところで活動をしています。日本で例えると、献血事業の赤十字社と病院の輸血部が合体したような施設で、献血者の採血から血液製剤を患者さんへ手渡すところまでを担っています。輸血医療の安全性を高めるために、私は輸血センターの初代隊員として派遣されました。
国内唯一の施設にも関わらず、血液製剤の在庫がゼロになったり、検査手技が粗末だったりなど安全な輸血とは言えない現状ですが、検査技師や医師、看護師と共に解決すべき課題に取り組んでいます。
現在は主に血液製剤の製造工程の見直しを行っています。特に力を入れて改良しているのが、血小板製剤の調製です。現地の検査技師と共に遠心の条件など日々試行錯誤しながら、より高品質の製剤を目指して活動しています。その他には、血液型の検査技術の指導など検査技師としての仕事はもちろんですが、献血者を増やすための戦略を練るなど幅広く活動しています。

ー仕事をしていて楽しさややりがいを感じるのはどんなときですか?

時間を忘れるほどに夢中になって一緒に働き、「今日はこれがダメだったから、明日はこれを試してみよう」というように、やりがいを持ちながら仕事をしている技師たちと時間を共にしているときが一番楽しい時間です。
最近は一緒に作業をしている活動の成果が見えはじめ、技師たちが自分たちの仕事に自信と責任をもつようになったのが感じ取れます。そして、他のものも改善してみようという向上心が生まれて自ら行動し始める姿をみると、「ここに来た甲斐があったな」と思えます。この改善への意識が職員たちの中で定着することで、いつか彼らがガボンの輸血医療を安全なものにしてくれるのだと考えると、とても大きなやりがいを感じます。国籍や言葉は違えども検査技師という共通の職業を通して、真剣にお互いの技術と知識を共有して向上し合えることは協力隊の魅力なのだと感じます。

輸血センター(活動風景②)
輸血センターでの活動風景

過酷な医療の実状。途上国の役に立てるような臨床検査技師に

—今後どのように働いていきたいですか?

輸血医療に携わることができる臨床検査技師という仕事は私にとって天職だと思っています。帰国後も輸血分野をベースに働いていきたいですし、協力隊の活動を通して自分の知識と経験の未熟さを感じているので、帰国後は再び病院勤務で経験を積み、そして確かな知識のある技師になるために大学院へも進学をしたいと思っています。また、以前から興味のあった、災害時に医療活動をする国際緊急援助隊(JDR)にも応募する予定です。そしていつかまた、途上国の役に立てるような臨床検査技師になれればと思っています。

ガボンを含めて途上国の医療は過酷で、時に心が追い付かないほどに残酷です。
日本では、病院に行ったら検査も治療も大体のことは来院したその病院で済み、薬局にいったら薬が手に入ります。その当たり前のことが、ここでは違います。病院に行っても医者がいない、検査や治療を受けるためにはそれに必要な物品を自分で購入して病院へ戻る、薬局には薬が無い、これがこの国の当たり前です。
輸血センターでは、貧血の患者本人が検査検体と処方箋を持って来て、血液製剤を買っていく光景をよく見ます。輸血が間に合わなくて患者が亡くなったという話も日常茶飯事です。生きている環境が違うだけで、こんなにも医療は変わってしまうのだという現実を目の当たりしています。そして、日本がいかに恵まれている国なのかを痛感します。
協力隊としての私の活動には、この国の医療を変えるほどの力はありません。それでも、私の活動を通して助かる命が一人でも増え、その助かった命が次の命へとつながることを願い日々活動しています。


輸血センター(活動風景)
製剤の品質確認の様子

大学で学んだ「チーム医療」の基礎

ー学生時代について教えてください。大学生活で印象に残っていることはありますか?

大学時代で最も印象に残っていることは、医学部写真部で仲間たちと過ごした時間です。今は取り壊された旧部室(通称MR)で、中身のない話で大盛り上がりしたり、警備員に怒鳴られたり、でも暗室に入ると真剣になったあの時間と仲間たちは、今思い出しても笑わせてくれる、心の支えになっている思い出です。何でもないような時間が実はすごく大切で、そしてその時間を共有した仲間は一生の宝物なのだととても感じます。

ー弘前大学での学びや経験が、社会人になって活かされていると感じるのはどんなときですか?

弘前大学は様々な学部と学科があるので、広い分野の人々と関わることができるのが魅力です。医学部を例にとると、医師、看護師、理学療法士、作業療法士、放射線技師、検査技師の6つの医療職があり、授業や学生同士との関わりあいでそれぞれがどのようなスペシャリストなのかを詳しく知ることができます。この知識は「チーム医療」を形成していくうえで大事なベースになっています。
また、弘前は自然が豊かなため日々の通学や生活で季節の移ろいを楽しみ、美しいと思える日本人らしい心の豊かさも得られた気がします。そして弘前の冬の厳しさを経験したことで、忍耐力が鍛えられたことは間違いないですね(笑)

学生時代医学部写真部のメンバーとの一枚

限界を決めずにチャレンジ!学生という時間を楽しんで

ー弘大生やこれから大学を目指す受験生へメッセージをお願いします。

いま皆さんの前にあるレポートや試験勉強など、「なんでこんなことやらなきゃならないんだ!」と嘆きたくなることもあると思います。私もそうでした(笑) でも、何においても無駄なことはありません。嫌々やったレポートも実は後で役に立つこともあるし、やり遂げたということそのものに意味があります。人は知らず知らずのうちに最良の選択をして生きているといいます。もっと最良の選択をするために、可能性を広げるために、限界を決めないで何にでも挑戦してください。経験は人を強く美しくします。だからこそ、まずはいっぱい遊んで食べて飲んで馬鹿なことして、もちろん勉強もして、学生という時間を思いっきり楽しんでくださいね。

ガボン同期
ガボンに派遣された同期と

◇久米田さんの活動がもっと知りたい方は久米田さんのブログもぜひご覧ください!

◇青年海外協力隊2018年1次隊ガボン隊員のリレーブログはこちらから

Profile

青年海外協力隊(ガボン国立輸血センター)
久米田 麻衣さん

医学部保健学科検査技術科学専攻卒 。
青森県八戸市出身、私立八戸聖ウルスラ学院高等学校英語科を卒業後、弘前大学医学部保健学科検査技術科学専攻に進学。中野学助教のゼミに所属。2014年3月に卒業後、弘前大学医学部附属病院検査部および輸血部で臨床検査技師として4年間勤務。5年目に退職し、2018年7月より青年海外協力隊として中部アフリカのガボン国立輸血センターで2年間の活動を行っている。学生時代は医学部写真部に所属し活動する。