弘前大学で取り組まれているたくさんの研究の中から、特にイノベーティブ(革新的)な研究を取り上げる全4回シリーズ。第3回目のテーマは「被ばく医療」です。

弘前大学には、全国でも珍しい「被ばく医療総合研究所」があります。青森県は原子力施設が多いことから、万一の際の被ばく事故に適切に対応できる医療体制の構築や、そのための人材育成を主な目的として2010年に設立されました。そして2011年、東日本大震災による原発事故が起きたことで、まさに被ばくリスクが懸念される事態となり、その状況を把握するための調査や研究を事故直後からいち早く行ってきました。今回は、被ばく医療総合研究所が果たした役割とその成果をご紹介します。

放射線測定技術の開発・高度化と被ばく医療への貢献

被ばく医療総合研究所 所長
床次眞司(とこなみしんじ)教授

原発事故直後の福島で調査開始。原動力は使命感。

2011年3月11日に発生した福島原発事故に対して、弘前大学では文部科学省からの要請を受け床次先生をはじめとするチームを組織し、3月15日、福島に向かいます。任務としては、避難住民を安全に誘導したり住民の被ばく状況を調べること。しかし床次先生たちはそれにとどまらず可能な限りのあらゆる調査をし、記録を取りました。福島に向かう道中も放射線量を計測し続け、現地では空気や土、水、葉っぱなどのサンプルを採取。残念ながら限られた時間と限られた測定機材では、マニュアルに沿った採取ができないケースもありましたが、それらから得られたデータは後々貴重なものとなりました。というのも放射性物質の中には半減期の短いものもあり、サンプル採取は時間との戦い。完全ではないとしても、今しか採れないデータを何とか残そうという研究者としての使命感からの行動でした。

その後もチームの人員を週ごとに交代しながら継続的に福島に赴き、各種調査を続けました。この一連の調査の中で最もインパクトを残したのは、2011年4月に行った避難住民の甲状腺被ばく調査です。甲状腺被ばくは放射性ヨウ素によるものですが、これも半減期が短いため、このタイミングで行ったことがとても重要であり、結果的に信頼できる唯一のデータとして世界でも認められました。

連続した調査はその年7月まで続けられ、9月には弘前大学と浪江町の間で連携協定が結ばれました。これに伴い、学内にも「浪江町復興支援プロジェクト」を発足、現在に至るまで継続的な調査や環境モニタリング、住民の健康相談なども含めた総合的な支援を行っています。

スクリーニング調査

見えてきた課題。そして新たなチャレンジを次々と。

平常時ではなく原発事故という緊急時において調査を継続実施した実績は国内外で高く評価され、同時にいろいろな課題も見えてきました。その課題解決のために床次先生たちは様々な活動をし、成果を上げています。

まず、放射線測定の国際標準化に大きな動きが生まれました。床次先生は事故が起こった際の放射線測定についての規格がないことを課題と捉え、その規格づくりを国際機関で提言してきました。それが実を結び、2019年には国際標準化機構(ISO)の作業部会議長に選出され就任。現在、新たな規格づくりに取り組んでいます。

放射線の計測技術においても、今までより一歩踏み込んだ方向に進み始めました。実は海外では、健康被害が起こるほどの自然放射線が高い地域があるため被ばくへのリスク意識が高く、放射線測定の重要性がしっかり認識されています。しかし日本では従来、そこまでの高い意識はありませんでした。床次先生は事故後の経験を踏まえるとこのままではいけないと、より迅速に放射線レベルの異常を検知できる測定装置の開発に取り組んでいます。また原子力施設によって測定するべき放射性物質が異なるので、きめ細かく対応すべきという提言もしています。

さらにユニークなのが、放射線を可視化するスマートグラスの製品化事業。従来のサーベイメーターだと両手がふさがってしまうので、緊急時の現場作業がなかなかはかどりませんでした。そこで放射線を検知する小型センサーを体につけ、その信号をスマートグラスに映し、データはクラウドで管理するというユニークなシステムを開発中。消防士や自衛隊の方の作業がよりスムーズになることが期待されています。

国際標準化機構(ISO)の作業部会
国際標準化機構(ISO)の作業部会の様子
床次教授がプロジェクトリーダとして取りまとめたISO国際規格「ISO 16641」の表紙
床次教授がプロジェクトリーダとして取りまとめたISO国際規格「ISO 16641」の表紙

大学に、この研究所があるという意義。

原発事故後、国の原子力災害対策指針が改正され、被ばく医療体制は大きく見直されることになりました。弘前大学も被ばく医療の拠点、そしてそのための人材育成・共同研究の拠点として国の指定を受けました。特にこの分野では、かねてから人材育成面での弱さがあったので、そこに目が向けられたのは大変前向きな変化です。

そもそも被ばく医療総合研究所が単独の研究機関ではなく、大学に所属することに大きな意義があると床次先生は考えています。大学は研究機関でありつつ教育機関でもあるため、そこには人材育成という視点があるからです。原子力行政の今後の方向性がどうあれ原子力施設が存在する限り、安全のための放射線測定や被ばく医療に関わる人材はまだまだ必要とされます。原発事故前から弘前大学には被ばく医療プロフェッショナル計画が存在し、事故後には大学院保健学研究科に被ばく医療コースもできました。被ばく医療総合研究所は設立から10年の節目を迎えましたが、人材育成において、弘前大学と被ばく医療総合研究所の果たす役割と存在感はこれからますます高まっていきそうです。

インタビューの様子

この研究に興味がある方へ、床次先生からのメッセージ

被ばく医療総合研究所は、2011年の福島原発事故において大きな貢献をしました。私たちが取得した事故直後の甲状腺被ばくに関するデータが最も信頼できる科学的な事実として世界的にも認知されています。最近では国連科学委員会からの要請で詳細なデータを提供しました。研究所にある設備も世界に誇れるもので、特に自然放射線の計測技術は世界のトップレベルにあり、海外から注目され多くの留学生が在籍しています。研究で得られた成果を社会に還元するため、ISOなどの国際規格を策定する標準化活動にも力を入れています。努力を惜しまず国際的に活躍したい学生を歓迎します。

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被ばく医療総合研究所