私たちが病院で医師の診察を受ける際も、ほとんど目にすることがない「病理医」。そのため、一般的にはあまり馴染みがないかもしれません。しかし、病理医は、医師のオーダーを受け、細胞レベルから病気の原因を調べ、正確な診断を下す専門医として重要な役割を担っています。そのため、病理医は、「doctor's doctor(doctor of doctors)」(医師のための医師)と称されることもあります。病理の研究と学生の指導を行っている鬼島宏教授にお話を伺いました。

がんのメカニズムを解明し、医療に貢献したいという夢を抱いて

― 現在の研究分野を目指したきっかけは?

母が看護師をしていた影響で医療の仕事に興味を持ち、子どものころから将来は医師になりたいと思っていました。高校2年生の時、職業について調べていたときに、同じ医師でも患者さんの診察や治療にあたる臨床医のほかに、大学や研究機関などで医学研究を行う研究医という道があることを知りました。医学研究によって、もしかしたらエポックメイキングなことができるかも知れない。人類のために役立つような医学研究に携わってみたい。そう考え、新潟大学医学部に進学しました。

― そもそも「病理学」とは? 先生が病理の分野を選んだのはなぜですか?

病理学とは、病気の原因や、病気がどのように起こってくるかを明らかにすることで病気の本質を究める学問です。病院の現場では、患者さんの体から採取した病変部などを顕微鏡で詳しく調べることによって、最終的な診断を下します。
私が大学在学中の1980年代に、がんが日本人の死因第1位となり、大きな話題を集めました。がん医療において、病理診断は最も重要な診断確定法です。また、生命科学の立場からがんを理解することが、がんの病態(メカニズム)解明に役立つことから、病理学に興味を持ち、研究室で研究に取り組み始めました。

同大学大学院では、消化器がんの発生や進展の病理形態学的解析を行いました。大学院卒業後は、東海大学でヒト腫瘍の進展と癌遺伝子変化との関連の研究を始め、多くのヒト腫瘍マウス移植株を用いてK-ras癌遺伝子の突然変異型などを解析しました。当時は、癌遺伝子や発生について少しずつ解明されてきた時期で、私は、がん細胞が大きくなるのを制御することでがんの進行をコントロールする研究を行いました。その研究成果が認められ、米国カリフォルニア州、シティ・オブ・ホープ国立研究所に客員研究員として留学しました。3年間の留学時代を含めて、東海大学には17年間在籍していましたが、当時を振り返ると人のつながりに恵まれ、そのおかげで多くの経験をさせてもらったと感じています。その後、2004年8月に弘前大学に赴任しました。

1994年 米国留学 City of Hope National Medical Center
1994年 米国留学 City of Hope National Medical Center
2007年4月 ノーベル賞を受賞したDr Warrenと撮影
2007年4月 ノーベル賞を受賞したDr Warrenと撮影

病気の診断を確定し、予後を推測し、治療法の重要な決定を支える病理医

― 病理診断は、具体的にどのように行われるのですか?

病理診断は、大きく分けると、「細胞診断」、「組織診断」、「術中迅速診断」、「病理解剖」の4つがあります。
細胞診断は、医師が患者さんの尿や胸水、腹水に混じっている細胞や、子宮頸部からこすり取った細胞を採取し、病理医が診断を行うものです。
組織診断は、医師が患者さんから摘出した組織などをもとに、病理医が病気を特定する作業です。たとえば、患者さんが胃の痛みを訴え、医師の診察を受けて内視鏡検査を行ったとします。その結果、胃の痛みががんに由来する疑いがあると判断した場合、医師は、病変を起こしている組織を採取し、病理医に組織診断を依頼します。病理医は、それを顕微鏡で調べて診断名を付けます。病理診断は、病巣部を直接みて診断するため、確定診断となるわけです。また、病理医は診断名を付けるだけではなく、この病気はやがてこのような経過をたどるという“予後”を推測したり、それに合わせた治療法にも関与します。

がんの三次元解析画像①
がんの三次元解析画像①
がんの三次元解析画像②
がんの三次元解析画像②

がんの外科手術の場合、がん細胞を完全に取り除くことが重要です。そのため、病理医は手術中、待機し、外科医が切除した組織片を検査して悪性か良性かを診断します。これは、術中迅速診断と呼ばれ、手術中に行われる緊急病理診断になります。これにより、当初予定していた切除範囲ではがんを取り除くことが難しいと判断した場合は、切除範囲をさらに拡大したり、場合によっては臓器の全摘手術に切り替えます。患者さんが麻酔で眠っている限られた時間に、迅速かつ正確な診断を行う必要があります。

このほか、亡くなられた患者さんのご遺体を、ご遺族の承諾のもとに病理解剖を行い、患者さんがどのような病気で亡くなられたのか、病名や病気の進行状態について診断します。このように、病理医の仕事は、患者さんからは直接見えませんが、さまざまな病気の本質をとらえ、最終的な結論を出す重要な役割を担っています。

時計遺伝子を介して、がん細胞の増殖を制御する研究

― 弘前大学では、どんな研究に取り組まれていますか?

癌の病態解析と、疾患における時計遺伝子(DECなど)の機能解析を行っています。体内時計や生物時計という言葉でも表現されますが、約24時間で変動する生理現象を概日(がいじつ)リズムと言います。この概日リズムが、睡眠や覚醒、ホルモン分泌などの生理活動を制御しており、リズムの乱れが体調不良を引き起こし、生活習慣病を誘因するとも考えられています。この概日リズムをコントロールする遺伝子群が時計遺伝子です。
近年の研究により、血管新生に重要なVEGF遺伝子の発現がDECという時計遺伝子の働きによって24時間周期でリズミカルに変動することが明らかになってきました。病理生命科学講座では、時計遺伝子が、抗アポトーシスや血管新生を介して癌細胞の増殖進展に大きく関与していることを研究成果として発表しています。今後、概日リズムとVEGF遺伝子発現の相関を明らかにして活用できれば、最適なタイミングでの投薬も可能になり、より有効的ながん治療につながることが期待されています。

現在、日本における死亡原因の1/3は、がんです。一方で、早期発見・早期治療によってがんは完治する病気へと変化しています。そこには、科学的根拠(エビデンス)に基づく診療が大きく影響しています。私はこれまで、『胆道癌の取扱い規約』や『エビデンスに基づいた胆道癌診療ガイドライン』の発行に際して、作成委員会・病理系委員として関わってきました。これは、いわゆる全国のお医者さんたちのためのガイドブックです。エビデンスに基づく医療を通じて、地域や社会へ少しでも貢献できればと思っています。

2019年11月 弘前肉腫記念石碑完成
2019年11月 弘前肉腫記念石碑完成

ポストコロナ時代を支える医療人の育成を目指す「地域基盤型医療人材育成センター」

― 2022年、弘前大学大学院医学研究科に「地域基盤型医療人材育成センター」が開設されました。これは、どのような目的のもとで設置され、それによって、学生はどのような教育が受けられるようになるのでしょうか?

弘前大学は、文部科学省による大学教育再生戦略推進費「ポストコロナ時代の医療人材養成拠点形成事業」の拠点に選定されました。北東北の国立大学医学部2校および青森県内の医療系私立大学2校が連携し、多職種連携教育を基盤とした総合医療を行う医療者を教育することを目的としています。これに伴い、2022年10月1日付けで弘前大学大学院医学研究科に「地域基盤型医療人材育成センター」を設置しました。

現在、地域や社会に直結した医療従事者は非常に不足しています。「地域基盤型医療人材育成センター」では、医学部附属病院にとどまらず、地域の第一線の医療施設で実習を行うことを目指しています。これによって、地域や社会に直結した医療実習が可能になり、学びのモチベーションが大きく上がることが期待されます。
大きな特徴として、医療における多職種連携教育を重点的に行います。多職種連携とは、医療チームを構成する職種(医師、看護師、診療放射線技師、臨床検査技師、理学療法士、作業療法士など)が連携を密にして患者中心の医療を行うことです。チームを組んで、患者さんのニーズに合うような医療を提供できる人材を育成していくことを目指しています。

全国でもまれなカリキュラム。人間として大きく成長する地域医療実習

― 弘前大学医学部の強みはどんなところだと思いますか?

弘前大学医学部には、医学科、5専攻を有する保健学科、心理支援科学科と、全国有数の多職種医療人を教育する体制があります。こうした恵まれた環境のもと、多学科の学生との交流を通じて多職種連携について学ぶことで、将来、チーム医療を支えるスペシャリストとして活躍することができます。

近年の医療人材育成では、臨床実習(医学科)・臨地実習(保健学科)の重要性が唱えられています。これは、医療施設内で、医療スタッフが行う実践のなかに学生が身を置き、医療チームの一員として学ぶ実習です。弘前大学医学科では、1年次から実際の医療現場に入り、見学と実地を通して患者さんとの接し方を学びます。そして、5年次には地域中核病院で臨床実習を経験します。さらに、6年次には全員が少なくとも1ヶ月間、へき地医療医施設で臨床実習を行います。このような取り組みは、全国でも極めて特色あるカリキュラムだと思います。現場で医療を学び、実習を終えた学生たちは、一回りもふた回りも大きく成長して帰ってきます。学生のうちから地域医療を学ぶためには最適なカリキュラムであり、私は日本で一番誇れる実習だと自負しています。

医療の基本は、人と人のつながり

― 学生に指導するうえで、大切にしていることは何ですか?

医療の基本は、人と人とのつながりです。患者さんに対する配慮・共感、多職種間での意思疎通などは、人のつながり無くしては成り立ちません。教員と学生との垣根をできるだけ低くして、学生が医療チームの一員として学んでほしいと願っており、そのような環境づくりに努めています。対面でのコミュニケーションが不可欠ですので、その第一歩としてのあいさつをとても大切にしています。たった1秒間のコミュニケーションではありますが、医療の現場では、医療従事者と患者さんのコミュニケーションが非常に大きいウエイトを占めており、両者の信頼関係があって初めて正しい医療が行えると思っています。医学というと、技能だけを思い浮かべるかもしれませんが、医学生に必要な三要素は、技能と知識、そして他者に接する時の態度です。患者さんに寄り添える医療人を育てることに重きを置いて指導しています。

2020年2月 弘前城雪灯籠まつり雪像
2020年2月 学生と弘前城雪灯籠まつりに行った時の様子

― 弘前大学の魅力、所属学部の特徴、魅力は何だと思われますか?

弘前大学は、歴史と一体となった街(街並み・建物など)にあり、大学の周りに地域や社会が直結しています。医学部も、大学のスローガン「世界に発信し、地域と共に創造する」を実践しています。世界最先端の医学研究が行われている一方で、青森県内を中心とした地域・社会に医療貢献をしています。医学部の魅力は、学生のうちからこれらを体験しつつ、教育が受けられることです。

― 最後に、弘前大学医学部を目指す高校生や、在学生へのメッセージをお願いします。

一つのことを長期間にわたり継続すること、努力し続けることは、とても大切です。私が病理の研究に関わってから40年以上になりますが、未だに年に数回は初めて出会う病理の像があります。臨床医にとっても同様で、なかには今まで経験したことがないような経過をたどる患者さんもいます。つまり、我々医療従事者にとって終わりはないのだと思います。
職業として継続することが、プロフェッショナリズム・高度な専門性につながります。職業以外の芸術・スポーツなどでも、長く続けることでその領域の真の意味が理解できてきます。問題に直面したら方向転換するのではなく、問題解決に向けて努力し続けることが大切です。
一つの問題を乗り越えても、必ず新たな問題がもたげてきますが、心折れない実力をつけてください。「石の上にも三年」では不十分で、「石の上にも十年」という気持ちで努力し続けることが大切だと思っています。私の使命は、医療に貢献する「診療(病理診断)」、後進を育成する「教育」、将来の応用を目指す「研究」です。ぜひ、夢を持って挑戦し続ける方をお待ちしています!

インタビューの様子

Questionもっと知りたい!鬼島センセイのこと!

― 趣味や休日の過ごし方は?

スポーツが好きで、大学時代から始めたバドミントンは今も続けています。そのほか、登山に出かけたり、読書を楽しんだりしています。最近は、ボルダリングも始めました。

温泉巡りも好きです。医学研究科で制作している広報誌「医学部ウォーカー」では、第69号(2014年6月18日発行)から「青森あずまし温泉紀行」という連載記事の執筆を担当し、現在は35回を重ねています。

1983年8月 北アルプス縦走 鹿島槍背景 大学6年
1983年8月 北アルプス縦走 鹿島槍背景 大学6年
2019年12月 みちのく深沢温泉 八甲田冬の露天風呂
2019年12月 みちのく深沢温泉 八甲田冬の露天風呂
高校1年生の時のフルート新年会

小さいころからクラシックが好きで、中学1年~高校2年まで、社会人の生徒たちに交じってフルート教室に通っていた。写真は、高校1年生の時のフルート新年会のひとこま。ピアノを弾いている女性がフルートの先生。

新潟大学医学部6年生の時の東日本医科学生総合体育大会
学生とのバドミントン練習

新潟大学医学部バドミントン部に所属し、6年生の時には、東日本医科学生総合体育大会で準優勝を手にした。現在も、大学生と一緒にバドミントンの練習に汗を流しながら、交流を深めている。

日米親善キャンプ座間桜祭りマラソンに出場した時の様子。

東海大学勤務時に、日米親善キャンプ座間桜祭りマラソンに出場した時の様子。

Profile

医学研究科 附属地域基盤型医療人材育成センター 医学教育学講座 教授
鬼島 宏(きじま ひろし)

東京都北区生まれ 。
研究テーマは、「がん(悪性腫瘍)」の発育進展とその制御」と「医学教育・医療人材育成」。 日本病理学会・学術研究賞(A演説)(2001年11月) 弘前大学・教育に関して優れた業績を上げた教員表彰(2010年1月) 弘前大学表彰(2022年5月) 胆道癌取扱い規約/作成委員会・病理系委員 エビデンスに基づいた胆道癌診療ガイドライン/作成委員会・病理系委員