弘前での生活や、授業・研究以外の活動にもフォーカスして弘大生のリアルに迫る『ひろだいLIFE』。
弘前でともに暮らす」と題し、さまざまな在学生をゲストに迎え、弘前のまちなかを案内し、記事を執筆する本企画。

在学生を案内するのは2022(令和4)年に弘前大学人文社会科学部を卒業し、北海道出身でありながら在学時から弘前の街を存分に満喫してきた鎌田 翔至(かまだ しょうい)さんです。
今回のゲストは、岐阜県出身の学部生1年 清水 遥仁(しみず はると)さんです。

弘前大学で学ぶことは、弘前という街で暮らすことでもあります。弘前市は豊かな自然や城下町の文化など、誰しもが知っている魅力だけでなく、暮らすからこそわかる魅力があります。弘前暮らし1年目の清水さんとともに、「ともに暮らすまち」弘前の魅力を再発見していきましょう。

弘前で暮らす人と弘大生にフォーカス~“弘大カフェ”&“寒沢スキー場”&“cider&café POMME/MARCHÉ”
&“棟方青果店”&“黒滝書店”編~

今回はこのメンバーで行きます

恒例の青森県のポーズ!
鎌田
鎌田

案内人
鎌田 翔至(かまだ しょうい)
北海道網走市出身 2022年弘前大学人文社会科学部卒業
「激動の2024年の弘前、案内がんばります」

清水
清水

ゲスト
清水 遥仁(しみず はると)
岐阜県出身 弘前大学人文社会科学部1年
「アテンドされて歩くのは初めてです。楽しみです!」

高野
高野

カメラマン
高野 志道(たかの しどう)
北海道出身 弘前大学人文社会科学部3年 学生広報スタッフ
「カメラはまだ慣れませんが、楽しんで撮ります!」

街の歴史を“弘大カフェ”で振り返ろう

3コマ終わりに正門前に集合した一行。

鎌田「今回なんですけど、先に弘前のまちについてインプットを、と思いますので、弘大カフェに入ります」

弘前大学正門から徒歩30秒で弘大カフェに入ります。

建物は弘前大学の前身にあたる、旧制弘前高等学校の外国人教師館を活用。2005年に登録有形文化財に認定されました

それぞれ注文し、県道127号線の見える2階の窓際席に腰掛ける。『青森県の都市―機能と構造/横山弘』を広げながら、弘前の古地図と現代の地図を重ねます。

鎌田「今までは“鎌田が弘前を案内する”という企画でやらせてもらっていたのですが、今回はみんなでまちの魅力を発見していければと思います」
清水「はい」
鎌田「ということでだいぶ歩きますが、大丈夫ですか?」
清水「歩いたり、ランニングしたりが趣味でもあるので大丈夫です!」
鎌田「よし、今回は土淵川沿いに百石町まで向かいます。道中、発見があったら都度教えてほしいです」



二階の窓際、在学時は鎌田もここで講義の課題をしていました

 

太宰ブレンドのコーヒーを飲みつつ、体を温め、出発に備えます。

店員さん「あら、お久しぶりね」
鎌田「おお……ご無沙汰しております。今回は学生と一緒にまちを歩きに行くんです」
店員さん「今は弘前なの?」
鎌田「函館でして、今朝弘前に来ました」
店員さん「あらあら……では、ごゆっくり」

“寒沢スキー場”を滑りおりて土手町へ

弘大カフェから、正門とは反対側の寒沢町の方へ向かいます。ロードヒーティングによって消失したと聞く“寒沢スキー場”を抜け、土淵川沿いのサイクリングロードを鍛冶町方面へ。

現在の寒沢スキー場

鎌田「“寒沢スキー場”って聞いたことあります?」
清水「名前だけはって感じです」
鎌田「雪が積もると、弘前大学裏の踏切から寒沢町の急な坂道がめちゃめちゃ滑るんですよ。誰が言い出したのかはわからないんですが、寒沢スキー場と呼ばれていました。確か弘前大学生が運営していたSNSアカウントまであった気がします。」

鎌田「このあたり必ずと言っていいほど黒猫を見かけるのはなぜなんだろうね」
清水「どこかで餌をもらっているんですかね」
鎌田「大学裏とは思えないくらい自然だよなぁ……カモいるよ、カモ!」


土淵川沿いの風景。サイクリングロードを上流へと昇ると源流のある久渡寺山に着きます

 

かつて生活用水として活用されたこの川も、上下水道が整備され、氾濫対策もされた今では、生活からは少し距離ができました。現在は寒沢や紙漉など水にまつわる地名と、弘前銘醸や富田の清水などが残るばかりです。

途中、稲荷神社がありました。商売繁盛から豊作祈願までなんでも屋さんのお稲荷さん。かつて、このあたりがまだ田んぼだったころからあるのでしょうか。現在の住宅街からは思い出せません。

土淵川沿岸を通り、鍛冶町までやってきました。以前の記事で紹介した「まわりみち文庫」さんがあるかくみ小路を通ると、左側に「どてまち稲荷」があります。かつてこの場所にあった呉服店「角み」の脇にあった稲荷神社は地元のひとたちから「角みのお稲荷さん」と親しまれる存在だったそう。角みが閉業し、現在のコミュニケーションプラザを建てる際に今の位置へと移動しました。

どてまち稲荷。清水くんのしっかりとした参拝作法にハッとさせられます

“cider&café POMME/MARCHÉ”のごはんで恩が巡る

下土手町のスクランブル交差点を百石町方面へ抜け、県道31号線を渡りcider&café POMME/MARCHÉ(シードル&カフェ ポム・マルシェ)さんに入ります。少し遅めのお昼ごはんです。

複合施設であるHIROSAKI ORANDOの二階はゲストハウス。一階はイベントスペースとしても利用できます

中山智さん・未央さん(以下、智さん・未央さん)「いらっしゃいませ」
鎌田「こんにちはー、今日は学生連れてきました」

ポム・マルシェさんは、HIROSAKI ORANDO(ヒロサキ オランド)という複合施設で中山さんご夫妻が運営するカフェ&バーです。



店内には青森の工芸品やハンドメイド作品も販売されています

 

小西さん「あれ、鎌田さん!」
鎌田「おお、久し振りです! ここに就職したんですか!」
小西「そうなんです、こちらもよければ……。KUJIRA CINEMA(クジラシネマ)という映画上映会をやってます」
鎌田「清水くん、小西さんは弘前大学の卒業生なんですよ。自分イベントやるときに手伝ってもらったりとかしてもらいまして……」
清水「そうなんですね! 卒業生……」

まちづくりやアート、料理の本も並んでいました

映画上映イベントのチラシもいただきました(※イベントは終了しています)。奥の長テーブルにつき、各々注文します。

鎌田「清水くん、自分シードル飲んでもいい?」
清水「いいですよ」
鎌田「実はポム・マルシェさんのオリジナルシードルがおいしくてですね。設備を借りて自分たちで醸造までされているんですよ。シードルと料理のペアリングも楽しい」

未央さん「学生さん? 恩送りカード使う?」
清水「恩送りカードですか?」
未央さん「オランドを利用するお客様が、地域の学生に1杯ごちそうするサービスで、学生さんであればカードに書かれた金額分をお支払いにつかえるんですよ」
鎌田「自分も学生の時に利用させていただきました。気づけば送る側になりましたね」


智さん、未央さんに相談しながら料理とシードルを選ぶのも楽しそうです

 

美味しい料理と、シードルでほっと一息つきます。遅めの昼ごはんにはちょうどいい量で、本棚を眺めながらの雑談をしながらさらさらと食べ進みます。シードルには特徴が書かれたカードがついており、それをカンペに我が物顔でうんちくを垂れることもできます。

鎌田「ごちそうさまでした! 確か智さんは関西出身だったと記憶しているのですが」
智さん「そうそう、京都の長岡京だよ」
鎌田「清水くんは岐阜か……あまり関西は土地勘がないのですが」
清水「岐阜県の飛騨高山ですね。”さるぼぼ*”とかあります」
智さん「いったことあるよ、懐かしいなぁ」

*さるぼぼ:岐阜県飛騨地方に見られる人型のお守り

智さん(写真左)未央さん(写真中央)。未央さんの後ろにあるボードに貼られているのが“恩送りカード”です

 

案内するつもりで連れて行って、自分の知らないことを知れるのはガイド冥利に尽きます。きっと弘前にも自分の知らない魅力がまだまだあるのでしょう。しばし雑談後、中山夫妻に見送られながら土手町方面へと戻ります。先ほどまでの小雨は止んできました。せっかくなのでオランドの本棚にあった写真集に載っていた蓬莱広場から通り抜けてみます。

変わるまちと変わらないひと

閉業した中三百貨店弘前店の裏を通ります。ほんの半年前まで裏手には「中みそ」の香りが漂っていました。今はただ静かに建物があるだけです。蓬莱広場を上がり、土手町を上土手方面へと歩いていきます。


蓬莱橋の下はかつて高校生のデートスポットだったと言います。今はどうなのでしょうか

 

清水「あ、今日閉店じゃないですか!」
鎌田「本当だ、どこもかしこもって感じだなぁ……」

棟方青果店

通りがかった棟方青果店で閉店のお知らせを貼りだしていました。店内は最終日なだけあってガランとしていました。かごに入った野菜や果物から、店主自ら目の前で目利きしていいものを選んでくれます。食材の買い物をスーパーマーケットでしてきた自分たちにとっては、珍しい体験でした。もう、ここではできません。棟方青果店の周辺ではここ数年で一戸時計店、弘前中央食品市場、開雲堂と閉業が続きました。弘前中央食品市場の名物であった大学芋の山田商店は、近隣の路面店に移転されて営業を続けています。折角なので山田商店にも立ち寄りました。

鎌田「ごめん時間押してるんだけど、弘前で一番古い本屋さんにもいきません?」
清水「いいですよ」

黒滝書店

銀座街と呼ばれた上土手町から富田大通りのあたりを、大学方面に進むと左手に創業101年になる新刊書店の黒滝書店があります。

鎌田「こんにちは、米澤さん、鎌田です。ご無沙汰しています」
米澤さん「あらー! 久し振りー! 今はどこにいるの?」
鎌田「今は函館にいまして……」
米澤さん「そうなの、若い時は店閉めてからよく遊びに行ったわ。学生さん?」
清水「今日は案内してもらってます」
米澤さん「そうなの、来てくれてありがとうね。良かったらこれ、飴っこ。もってって」

鎌田と米澤さんが出会ったのは5年前、その頃はまだ紀伊國屋書店弘前店がありました。大型書店の近くで“まちの本屋”が営業を続けているのには、米澤さんのはつらつとした人柄や、地域をまわり営業しつくられた顔の見える関係性があるからなのでしょう。鎌田もそんな人柄に惹かれているひとりだからこそ、清水くんに「こんな素敵なひとと知り合いなんだ」と自慢したかったのかもしれません。

黒滝書店をあとにし、弘前大学まで戻ります。
大学で買ったものを広げながら、アテンドを振り返ります。

棟方青果店の野菜と果物、山田商店の大学芋、黒滝書店でもらった飴っこ

鎌田「だいぶ歩きましたが、どうでした?」
清水「楽しかったですよ」
鎌田「よかった……」
清水「思い出はもしかして、人や物、場所に宿っているのかもなぁと思いました。じゃあ、その人・物・場所がなくなってしまったとき、どうなってしまうんだろうと……。だからこそ、残す必要があると感じました。自分が今学んでいるところに繋がった感じです」
鎌田「おぉ……」
清水「それにしても、本当知り合い多いですね(笑)」

まとめ

2024年は弘前にとって激動の年になりました。中三がなくなり、イトヨがなくなり、開雲堂がなくなり、バスタの立ち食い蕎麦も……失われたものが多い一年でした。思い出の詰まった物や場所がなくなってしまうことには悲しさがあります。
でも、いつだって、弘前のまちは変化し続け、苦境を越えてきたまちです。城下町から、軍都へ。軍都から、学都へ。自分が大学時代をすごした弘前と、今の学生たちが学び暮らす弘前は同じ弘前ではありません。もちろん寂しさもあります。
学ぶまちは、暮らすまちでもある。ぼくたち卒業生が暮らした弘前でもある。しかし、今の弘前はそこで学び暮らすひとたちのまちです。アテンドを通して、学ばせてもらったのは自分の方かもしれません。まだまだ弘前は変わっていくのでしょう。学び、暮らし、新しい魅力を創り出していく、そんな弘前で暮らせたことは、ぼくの自慢です。

鎌田センパイについてもっと知りたい!

在学中からマルチに大活躍!地域づくりに全力で取り組む

在学中に参加した地域づくり活動での経験とネットワークを活かして、弘前市や地域の活性化に関わるチャレンジをされている鎌田さん。弘大生だった4年間を振り返り、卒業した現在、個人事業byplayerの代表として本企画を提案いただきました!

<2025(令和7)年3月時点で活動されていること>
byplayer代表
株式会社サッポロドラッグストアー社員
有志団体E.らぼ

鎌田センパイ在学中のHIROMAGA記事をご紹介

ご協力ありがとうございました今回鎌田センパイが案内したお店はこちら

弘大カフェ

所在地 弘前市文京町1
Webサイト 公式ホームページ
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寒沢スキー場

 

cider&café POMME/MARCHÉ ・ HIROSAKI ORANDO

KUJIRA CINEMA

弘前市で映画の上映会を企画。主な活動場所はHIROSAKI ORANDO。
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黒滝書店

所在地 弘前市品川町1