医療に関わる研究は、現場の医療者や住民との二人三脚です。小林只先生は、へき地医療に従事した経験を基に、現場の医療の質を直接的に向上させるべく、携帯型超音波診断装置(ポケットエコー)を初めとする医療機器の研究開発に取り組んでいます。そして、機器自体の研究開発だけでなく、教育システムの構築、知的財産戦略やビジネス戦略といった分野まで横断的に携わり、地域の産業や雇用、社会発展をも見据えた研究活動に力を入れています。

事業化を見据えた「ポケットエコー」の研究開発

弘前大学医学部附属病院総合診療部
小林只(こばやしただし)学内講師

エコーの研究開発はへき地医療の経験から生まれた

私は、弘前大学医学部附属病院の医師(総合診療医)として診療しつつ、医学生の教育や研究開発を行なっていますが、青森県生まれではありません。埼玉県で生まれ、島根大学を卒業し、2008年からは医師として静岡県の地域医療を担う病院で初期研修をしました。そこで、本県で長年地域医療に従事し、総合診療医でもある松岡史彦先生[青森県六ヶ所村尾駮診療所所長(現、六ヶ所村地域家庭医療センター長)]に出会い、2010年の医師3年目からは、松岡先生に弟子入りし研鑽を積みました。ここでは、朝に入院患者さんに挨拶し、午前中は外来診療と検査(内視鏡検査ほか)、午後は日替わりで訪問診療・老人ホーム・障害者支援施設・学校医の業務、昼や夕方に産業医・住民健康教室、適宜に入院・救急車へ対応していました。これらを当時は医師3~5人(全員総合診療医)で他スタッフらと協力してマネジメントしていました。これら多様な医学・ヘルスケアに関する活動は、都市部では細分化されているため担当する医療者・医療機関がバラバラです。へき地診療所では地域の医療機関が乏しいことが逆に幸いして、横断的に経験できたからこそ、人と医療・福祉の関係性に思いを馳せ、狭間にある様々な課題にも気づくことができました。その結果、世界最先端の少子高齢社会である日本の、さらに先端の青森県であるからこそできる研究活動の社会的意義を確信しました。

現在、研究している超音波診断装置(エコー)の開発もへき地診療所勤務時代から携わってきました(以下図*1・2参照)。最近の医療機器の小型化は目覚ましく、携帯電話(スマートフォン)のように進化していました。体温計や血圧計は、今ではすっかり一般の方に馴染みのあるモノとなり、家電量販店でも販売されている医療機器ですが、エコーもまた同じような流れを辿っています。

へき地診療所における訪問診療の様子(2013年)

手にエコーが入ったバッグを持って訪問する様子
*1 手にエコーが入ったバッグを持って訪問
患者さんのご自宅で、エコーを実施している様子
*2 患者さんのご自宅内で、患者さんがソファーに
横になり、エコーを実施

エコーもスマートフォンのように1人1台の時代へ

エコーは実は、法令上は医師しか使えない機器ではありません。現に、とある離島では医療者ではない妻が寝たきりの夫の排尿管理のためにエコーを使っているというエピソードもあります。当然、医師以外の医療職、例えば、使いようによっては、看護師が使うことで、患者さんの病状を適格かつ迅速に判断できるようになります。私はへき地勤務を続ける中、2011年頃には、「エコーは近い将来、第2の聴診器として、スマートフォンのように多職種が1人1台を所有し、手軽に、日常使いする時代がくるだろう。その時代において、誰もが使えるからこそ、使い方のルールや運用、機器の性能を、現場目線で検証し開発する必要がある」と世界に先駆けて考えるようになっていました。このような洞察は、スマートフォンなどの携帯型機器の進化、医療機器の小型化、へき地の人口動態・産業、日本や世界の動向、なによりも医療の最前線で働いている経験など横断的な要素から紡ぎ出されたものでした。

この技術発展と現場への適用に関して、少し具体的にお話いたします。エコーの発展は、パソコンの発展に似ています(以下図*3参照)。パソコンは、三次元や人工知能や仮想空間など複雑な処理をするデスクトップ、じっくりと腰を据えた資料作成、動画編集などをするノートパソコン、手軽にちょっと調べるスマートフォンなどに分かれます。スマートフォンで動画編集やスライド資料を好んで作成する方は極めて稀ですし、一方で、「自宅のデスクトップパソコンでないとSNSを開く気はしないし、google検索する気も起きない」という人も稀でしょう。私は、このスマートフォンのように「手軽に使う」「いつでも使う」ポケットエコーの特性を活かした研究開発と事業化に取り組んできました。

エコーの発展はパソコンの発展に似る

パソコンがデスクトップ(高性能)→ノートパソコン→スマートフォン(高可搬性)と展開し自然と使い分けられているように、エコー機器もまた同様に発展している。

エコーの発展過程の図
*3 Kobayashi T and Kato H. Development of Pocket-sized Hand-held Ultrasound Devices Enhancing People’s Abilities and Need for Education on Them. J Gen Fam Med. 2016.17(4).p276-288 Figure1(リンク)を参照に作図

日本発のエコー技術の未来。事業化を見据えた研究開発を展開

あまり知られていないかもしれませんが、実はエコーは日本発のテクノロジーで、日本から世界中に広まったものです。私は2012年に、エコー技術開発における世界の第一人者・入江喬介氏(現、マイクロソニック株式会社代表取締役)らと出会い、難しい操作が不要で、だれもが直感的に操作・使用可能なエコー、例えるならば「らくらくフォン」のようなエコーの開発計画を練り始めました。ところが、開発計画を進めるうちに、私が個人として活動できる限界も痛感する場面も増えてきました。例えば、技術開発で特に重要な秘密保持契約において、適切な契約が結べていなかったことにより、アイデアが盗用されてしまったことに、あとから気が付いたこともありました。

このような折に、現在の総合診療部教授 加藤博之先生と出会いました。加藤教授と話すうちに、大学が持つ魅力や組織としてのパワーに気が付きました。例えば、企業との交渉、他大学との共同研究など、大学組織を母体とする活動は、弘前大学のような総合大学としての専門スタッフのサポートも得つつ、個人としての活動を飛躍的に発展させうることにワクワクしました。そして2014年、各種活動を広く展開することを目指し、当学総合診療部に奉職させて頂くことになりました。その後、機器を作るだけではなく適切に普及させるための仕組み作りと、関係者(ステークホルダー)との協議を進めてきました(以下図*4参照)。

看護ケアのための ポケットエコー機器と教育システムの開発経緯

2012年に計画開始し、ポケットエコー自由自在の書籍を総合診療部加藤教授の監修の元で執筆し出版する。
この書籍で描いた未来像を元に、各企業と新規事業提携のため協議を重ね、2016年に第1弾、2019年に第2弾をスタートする。

ポケットエコー機器
*4

「機器を作りっぱなし、売りっぱなしにしない」ことを信念に、ただ機器を作るのではなく、現場で実際に運用され、活用し、患者さんの役に立つ、医療者の労務が軽減するための仕組みも一緒に整備していくことを目指しました。通常、医師以外の職種は、学生時代にエコーを学ぶことはありません。そのため、エコーという機器の扱いを学ぶためのシステムの開発や教科書(テキスト)の作成も同時に進めました。一方で、この事業は完全な新規事業であり、エコー機器も完成していないうちから、関係者に協力と投資を訴えるような状況でした(今で言えば、ベンチャー企業設立の資金・人材集めに似ています)。教育に必要なシミュレーター開発のために、また教育テキスト執筆刊行のために企業の社長・理事等と加藤教授と一緒に直接面談し、事業提案を含めて交渉しました。さらにシミュレーターやテキストを使った教育コースを運営するための非営利法人を設立するために、厚生労働省の看護課長や、その他関係団体への挨拶回りを行なうなど、中央省庁やその領域の代表的な企業を含む、想定しうる関係者との関係性を整理しながら進めていきました。

ポケットエコー機器を使う様子
ポケットエコー機器を使う様子
ポケットエコー機器
ポケットエコー機器と教育コースで活用している関連書籍

医療×知的財産×事業を1人3役で切り開く近未来

私の研究活動の目的は「ヘルスケア領域において、医療現場と事業を誠実に繋げる社会を創る」ことです。医療機器に関わる事業(ビジネス)においては、医療現場のニーズ調査・評価、医療機器承認に関わる薬事戦略、知的財産(特許権、商標権、ブランド、著作権、営業秘密・ノウハウなど)を活用した知財戦略、そしてもちろん市場規模評価・製造・流通を含むビジネスモデル(事業化)の立案が重要です。

事業化を進めるためには、知的財産、契約など権利関係に敏感かつ誠実であるべきことを痛感していたところ、2019年に弘前市で開催された青森県主催知財講習会(6時間×12回)に参加し、現役の弁理士から知的財産について直に教わる機会を得ました。その後も学びを深め、現在は、法務系国家資格である1級知的財産管理技能士、そして経営・ファイナンス・知的財産の専門知識と知的財産情報の分析等を通じ、企業の戦略的経営に貢献するプロフェッショナルである知的財産教育協会(AIPE)認定知的財産アナリスト(特許/コンテンツビジネスプロフェッショナル)の資格も得て、「医療×知的財産×事業」を1人3役で横断的にマネジメントできる立場から、現場の知見を事業に繋げるために、いわゆる6次産業化を目指して、医療機器開発に関する産学連携活動を進めています。その結果、相手企業からの信用度も増し、各種活動がスムースに進むようになってきたと感じています。

大学は、医療だけでなく、地域産業全体を支える重要なインフラだと実感しています。大学総合診療部における患者さんの診療は、一般市中病院総合診療科での診療と比べて、目の前の患者さんを真摯に診ることは共通しています。しかし一方で、社会や地域の未来に対する時間やエネルギーの投資や、他大学・省庁・企業らとの産業発展や社会インフラサポートのための協業などスケールの大きな背景を見据えて診療ができることが大きな特色だと感じています。私のようなへき地出身の若輩者が、自由に、のびのびとやりたいことができるようサポートして下さった諸先輩方や本学の多大なご支援のおかげで、「日本の地域から世界へ発信」というコンセプトに向けて、赴任時に想像していたよりも遙かに大きな成果を残すことができていることに驚いています。

弘前大学医学部附属病院総合診療部 学内講師
小林只

この研究に興味がある方へ、小林先生からのメッセージ

テクノロジーの急速な発展と、人口動態の変化、グローバル化による環境・社会・政治の変化により、生活も仕事も変わります。30年前は、スマートフォンも、高速インターネットもなく、国際電話も1000円/3分もかかっていました。そのため、人が多い都市部が有利な側面がありました。最近は、無料でどこからでもテレビ会議ができてしまう時代です。YouTubeやブログ、SNSなど個人が情報発信できる時代において、テクノロジーの急速な発展と、社会情勢の移り変わりに対して、規則やルールの整備が追いつかない世の中です。

日本は、世界で最も少子高齢化が進んでいます。その日本の中でも、青森県はさらに最先端にいます。少子高齢化は、働き手不足が問題視されていますが、逆の意味、つまりチャンスにもなりえます。働き手が少ない現場に、より低賃金の労働力を躍起になって投入しようとするのではなく、機械化やテクノロジーを上手に導入することによって現場に貢献し、発展する仕組みを投入する。これは、医療資源が乏しいへき地の現場こそが先陣を走れるモデルになるでしょう。

課題は常に、現場にあります。地方には、地域住民や患者さんの生活をリアルに分かる距離感があり、現場のニーズを知り、現場における製品の使い方、使われ方も知ることができます。インターネットや人づてに見聞きした遠くの情報を過信することなく、自分で目の前の状況(=現場=地方)と向き合い、当事者すら気が付いていない困り事にも気が付けるくらい、真剣にかつ精細に観察してください。そして自身の中の数値化できない「信じられるもの」を育むこと、そして「素直さ」「協調性」「誠実性」などを心に紡ぎ、勉学・運動・芸術・人とのふれあいなど、多様な体験をしてください。心豊かに誠実な学びを深め、未来のあなたと、家族と、友人と和やかな関係を築き、周囲の方々と共に成長していくことを心がけましょう。これこそがルールやテクノロジーなどが急速に変貌する現代においても、未来を見据えた確かな礎となり、まもなく世界中に訪れる同様の社会課題を解決できるキッカケにもなりうると信じています。